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詳細記載 (7): 空からの「白い綿」について

(双葉厚生病院に降った白い綿)
ずっと気になっている記事がある。2011年3月14日付け読売新聞、「爆発 空から白い綿、触ると被曝の恐れ 原発建屋の断熱材か」である。
この記事によると、3月12日午後3時半頃、大きな爆発音がし、まもなく白い綿のようなものが双葉厚生病院に大量に降ってきたという。患者移送のため病院玄関前にいた医師が、搬送後に放射線量を計測すると基準値を上回っていた。その後、あわてて着替えをし、シャワーを浴びたところ、翌日の再計測では正常値の範囲内だったという。
記事では原子力の専門家の話として、白い綿は建屋の素材として使われた断熱材の可能性が高い、としているが、本当にそうなのか疑問が残った。
2011年12月31日付の福島民報にも同様の記事が載っている。それによると、「白っぽい綿ぼこりのような物が空から降ってきた。こぶし大の大きさで、ふわふわしていた。断熱材のような物だった。」ということである。
記事の証言者は、読売が医師、福島民報は警察官であり、いずれも建築関係の専門家ではない。場所はどちらも双葉厚生病院。

(本当に断熱材か?)
次の写真は爆発後の1号機原子炉建屋である。鉄骨がむき出しになっているのは5階のオペレーティング・フロア(略称オペフロ)の部分で、この階の壁だけが鉄筋コンクリートではなく、メタルサイディングになっていた。その下の階からは、壁も鉄筋コンクリートである。他の原子炉建屋は、上まで全部鉄筋コンクリート造りであり、1号機だけが別なのである。
爆発によって吹き飛ばされたのは、主に壁の金属板であり、鉄骨の大部分は原型を留めている。また、屋上の床は下に落ち込んでいる。爆風が横に広がったために屋上が下側に引き込まれたと考えられる。
701_49_001_329.jpg

断熱材というと、住宅などでは壁に使われている。外のメタルサイディングと内側の壁の間に、フイルムに包まれた板状の断熱材が挟まれているのが普通だと思われる。
下の写真には、吹き飛ばされて折れ曲がった1号機のメタルサイディングが散乱している状況が写されている。薄い青と白の外壁の模様が見える。波板状の金属で、わりと薄い印象である。断熱材らしきものは見当たらない。
702_23_038.jpg

次の写真は落ち込んだ屋上の端の部分を上から撮影したものである。比較的細い鉄筋が見える。普通のビルの屋上と同じようなものだと思われる。ここにも断熱材らしきものは見当たらない。
703_64_011.jpg

オペレーティング・フロアには燃料交換の時に作業員が立ち入るが、常時人が居るわけではない。断熱材を使う必要は無いと思われる。断熱材を使う箇所としては、できるだけ熱を逃がしたくない蒸気配管の周りが考えられるが、そこは下の階にあり、爆発の影響を受けてはいない。
建屋爆発で断熱材が飛散したということはないように思われる。

(爆発による粉塵が流れた方向)
1号機原子炉建屋の爆発後、粉塵は海岸線に平行に、北の方に流れていった。下の映像は、1号機の北側に並ぶ5・6号機を粉塵が覆う瞬間である。
704_20110312_u1.jpg

詳細記載(4)で述べたように、ベントが始まった14:00頃には、ベント排気は南東からの風に流されて、原発の北西に位置する上羽鳥に襲来した。その後、風向きが変わっていき、爆発が起こった15:36には南からの風となっていた。
705_map_1Fn_c.jpg
モニタリング・ポストの新山局は双葉町体育館に設置されている。「白い綿」が目撃された双葉厚生病院は体育館の東200m付近に位置する。爆発時の風下からは西に外れていると思われる。時間的な前後関係だけで「白い綿」が建屋爆発によって飛ばされたものと断定することはできない。
706_futaba-hp_shinzan.jpg

(線量率データの検討)
次のグラフは、第一原発の北ないし西のモニタリング・ポスト6局の線量率変化を表したものである。ベントの始まった14:00から24:00までを示す。
707_312_MPs-north.jpg
爆発との関係において注目されるのは郡山局と新山局である。それらの爆発前後の詳細なグラフを検討する。
まず、郡山局である。次に示すグラフのように、爆発が起こってから線量率が上昇しており、爆発の影響を受けていると判断できる。また、残留放射能の影響は比較的小さい。これまでに考察してきたように、1号機建屋内から爆発で放出された放射能は、ベントに伴って非常用ガス処理系を逆流したものであり、残留放射能となるヨウ素やセシウムの多くはフィルター・トレインで除去されたと考えられる。
708_kooriyama_312-15-16.jpg
一方、新山局のデータを仔細に見ると、14:17ごろから線量の上昇が始まり、その後増減を繰り返すが、爆発の起こった15:36の少し前から急上昇しているのが分かる。次の図のように、この局は旧式の紙チャートなので読み取りにくいが、一番左側のプロットが高線量対応のグラフである。
709_shinzan_312_13-18.jpg
このように、新山局の線量率上昇は、建屋爆発ではなく、ベントで排気筒から放出された放射能の影響だと考えられる。

(残留放射能の検討、その1)
次のグラフで明らかなように、上羽鳥では半減期の短いI-132による減衰がはっきりと認められるのに、新山の減衰パターンにはそれが認められず、I-132とその親であるTe-132が放射平衡状態で共存していることが分かる。同じような減衰パターンは、線量率は1桁近く低いものの、新山の風下にあたると思われる浪江局でも認められる。
ベント排気の直撃を受けたと考えられる上羽鳥局と比べると、ピークの線量率は新山の方が低いのに、残留放射能による放射線量は逆転して、上羽鳥より数倍高くなっている。放射能飛来後数日間の線量率変化は、Te-132の減衰による傾斜を示している。粒子状放射能であるテルルの飛来は新山の方が数倍多いことが分かる。
710_u1-vent-residual.jpg

(3・15の影響について)
1号機の残留放射能を検討するにあたって、チェックしておかないといけないのは、その後の大量放出、特に3月15日の放出の影響である。上羽鳥も新山のモニタリング・ポストも3月15日の大量放出の前に記録が途絶えており、その影響を評価できない。
かなり長期にわたって非常用電源がもち、データが残っている浪江局のグラフを見ると、3月15日にピークがあるものの、その影響は小さく、残留放射能のほとんどは3月12日の1号機のベントによるものと考えられる。
新山のデータは3/15 0:40で途絶え、8月26日から測定が再開された。その時の新山の線量率は浪江の5倍程度であり、3月15日の前と、浪江との比較において、あまり変わっていない。従って、新山においても3・15の影響は小さいと考えてよさそうである。
3・15放出の北西方向への影響は深刻だが、北ないし北北西方向は比較的軽微であり、1号機の影響が残されていると考えられる。

(残留放射能の検討、その2)
711_nemie_312-401.jpg
この浪江のグラフから、線量率の減少に関しては、最初の数日はTe-132の寄与が大きく、その後の10日程度はI-131の寄与が大きいことが推定できる。
さらに長い期間の減衰を見るために、約5年間のデータをグラフ化したものが次の図である。なお、多くのモニタリング・ポストは震災から数ヵ月後に復旧し、その間欠測となったが、浪江局は欠測期間が短く、全期間を通して減衰の様子を最もよく記録している。
このグラフのように、数年のスパンで見るとCs-134(半減期2.06年)の減衰が支配的となる。この期間の線量率は新山が最も高く、残留セシウムは上羽鳥よりも数倍多いことになる。テルルと共にセシウムも新山に大量飛来したのである。
712_u1-vent-residual_5y.jpg

(土壌残留放射能のCs134/Cs137比)
これまで検討してきたように、新山局では1号機のベントで放出されたセシウムが多く残留しており、その後に放出された放射能の影響はあまり受けていないことが推定される。そのことは、土壌の分析結果からも確かめることができる。
小森ほか(2013, 分析化学, 62, 475-483)によると、3・11時点での1号機のCs134/Cs137比は0.9程度だが、2・3号機では1.0程度であり、1号機の方が低いので識別可能だという。
ただし、セシウム134は分析上の問題があって、正確に測定できていない分析所が多いようである。セシウム134のガンマ線スペクトル分析においては、サム・ピーク補正を行なわないと測定値が低く出る。セシウム134は極短時間に連続してガンマ線を放出するので分離できず、合計したエネルギーの別のスペクトルとして計測する場合があるので、セシウム134本来のスペクトルに数え落としが生じる。このため、1号機由来のセシウムかどうかを検討するためには、補正が正しい分析所のデータを使う必要がある。
土壌分析の結果は文科省が公表しているが、20km圏内の土壌分析は件数が少なく、定期的に同一地点の分析が行なわれたのは下の図の5点だけである。このうち地点番号8番の双葉町長塚は新山局の約600m北に位置し、最も注目される。
公表資料に分析機関が原研機構と明記されている5回の分析値について、Cs134/Cs137比を計算した。詳しくは下の表の通りである。
713_soil_20km-ken.jpg
713t_20km-soil.jpg
このように、長塚のセシウム比が0.903±0.010と1号機由来の特徴を示している。また、南相馬市小高区川房は中間的な値であり、1号機と3号機の両方の影響を被っていると思われる。

(「白い綿」は「放射性スケール」の断片)
以上、検討してきたように、「白い綿」の正体は断熱材ではなく、放射性物質そのものであると思われる。ここで考えを整理したい。
・1号機建屋爆発で破壊されたオペフロ部分に、断熱材は使われていなかったようである。
・1号機建屋爆発で飛び散った粉塵は、新山局や双葉厚生病院のある双葉町中心部の方向には流されず、その東側を北上したと考えられる。
・最も高い線量率を記録した上羽鳥よりも新山の方が、飛来した粒子状放射能はずっと多い。
・ベント開始時には南東風が吹いており、ベント排気は北西の上羽鳥に向かって流されていったが、ベント排気の止まる直前の15:00過ぎには風向きが南南東になり、放射能は新山局のある双葉町中心部の方向に流された。
・詳細記載(5)で考察したように、温泉や地熱発電のパイプを詰まらせる湯垢(スケール)に似た「放射性スケール」がベントラインを閉塞したと考えられる。
これらから、双葉厚生病院で目撃された「白い綿」は、「放射性スケール」によりベントラインが閉塞される寸前に、狭窄されて噴気の勢いを増した排気が「放射性スケール」の断片を吹き飛ばしたものと考えられる。

(3・12「白い綿」の飛跡)
半減期の短いヨウ素やテルルは、だいたい2ヶ月以内で検出できないほどに減衰し、半減期の長いセシウムが残留放射能の主体となる。上記のように「白い綿」にはかなりのセシウムが含まれていたと考えられる。降雨や除染作業で放射能が低減・除去される前に測定された空間線量率の分布図は、「白い綿」の飛跡を表しているはずである。
内閣府と文科省は「総合モニタリング計画」として、事故の4~5ヵ月後の2011/7/4~8/20に警戒区域と計画的避難区域の空間線量率を測定し、2011/9/1に公表した。次の図はその一部に加筆したものである。3・15で形成された西側に広がる高線量地域とは別の、明瞭な異常帯が認められる。
714_ra_2011a.jpg
各地区の詳細な図面は次の通り。
南から順に、双葉町、浪江町、南相馬市南西部である。
715_futaba_moni_trk.jpg
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717_minamisoma_sw_r.jpg
「白い綿」の飛跡は双葉町と浪江町の中心部を通っている。浪江町を北西方向に横断し、南相馬市の南西部からは阿武隈山地の東縁に沿って北上したものと思われる。山地東縁の経路については、山間部の測定データが少ないので不確かとなる。
放射能が市街地の中心部を襲った。しかも双葉厚生病院での記事のように、避難指示が出て、大勢の人が屋外に出ていた時に「白い綿」が降ったのである。呼吸器から体内に放射能が入るリスクが最も高かった。
また、3・15よりも3・12のほうが原子炉停止からの経過時間が短いので、短寿命のヨウ素(I-132, I-133)が多く、ヨウ素の被曝リスクが高かったといえる。これらの核種はI-131よりも崩壊エネルギーが大きい。特に懸念されるのはI-132の親のTe-132(半減期3.2日)が呼吸器から体内に取り込まれ、体内でI-132に壊変することである。

(銀110mについて)
第一原発の北北西に、セシウム137との比率において銀110mが多い地域があり、1号機起源であることが推定されている(佐藤ほか, 2015, 放射化学, 31, 28-29)。Ag110m/Cs137比は、3・15の北西地帯よりも10倍ないし数倍高い。
718_Ag119m_sato_etal_2015-1.jpg
719_Ag119m_sato_etal_2015-2.jpg
これは、ベントラインの内壁にセシウムが付着して選択的に除去され、外気へ排出されたセシウムが10分の1程度に減少したため、相対的に銀の比率が高くなったものである。炉内の状態を直接反映するものではない。
また、1号機による汚染地帯ではアンチモン(Sb-125)も検出されているが、これも銀と同じように相対的な比率が高くなったと思われる。

以上
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