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詳細記載 (4):1号機のベント(その1、排気の流れと核種)

(1号機ベントの映像)
3月12日14時ごろから1号機のベントが始まった。次の映像は14時すぎに1号機の東側からNHKのヘリが撮影したもので、1・2号機排気筒から白い蒸気が北西方向に横に勢いよく流れ出る様子が捉えられている(第一原発では排気筒は隣どうしの原子炉で共用している)。14:00の正門での観測では南南東の風3.5m/sだが、福島第二原発の排気筒の高さでは南の風7.0m/sだった。第一原発の排気筒も、風向は南東で少し違うが、第二原発排気筒と同じぐらいの風速だったと考えられる。
401_nhk-vent_4.jpg

次の映像は第一原発南側の丘に東電が設置していた監視カメラの15:00の映像である。手前の3・4号機排気筒と重なって分りにくいが、1・2号機排気筒から左側に排気が勢いよく流れ出ている様子がわかる。この画像は、公表されたものをトリミングし、コントラストを上げて排気の流れが見やすいようにしてある。
白い蒸気(正確には細かい水滴)は10m程度で蒸発して、その先には背景の空よりも少し暗い流れが続いている。これは放射能を含むダストによるものである。
402_20110312150101c.jpg

このようにベント排気は、排気口から横に流れている。翌日の3号機のベントでも同じように横に出ており、これがベント排気の特徴と思われる。普通、工場の煙突からは、上または斜め上へ向かって煙が立ち昇り、よほどの強風でない限り横に流れることはない。
普通の工場の燃焼炉などに比べると圧力抑制室の温度は高くない。百数十℃である。また、排気筒が地上120mと高く、排気筒までのラインも複雑で長いので、途中でかなり温度が下がると思われる。通常の工場排気に比べ、かなり温度が低いことが、上昇力の無い特有の排気の流れの理由であると考えられる。さらに付け加えれば、含まれている核種は空気に比べて重い元素なので浮力は無い。

(上羽鳥での線量率変化と圧力抑制室の圧力低下)
排気筒の風下5.6kmに位置する上羽鳥のモニタリング・ポストでは、14:10に4341.1nGy/h(4.3μSv/h)だった線量率が上昇を始め、14:40には4613200nGy/h(4613.2μSv/h)が記録された。これは事故全体を通して原発敷地外で測定された最大の値である。その後、15:36に261520nGy/h(261.5μSv/h)まで下がったところで放射能の襲来が終わり、残留放射能による減衰モードとなった。
403_kamihatori_312_14-21.jpg

次のグラフは1号機ベント時における圧力抑制室の圧力変化を示す。14:00ごろに圧力の低下が始まり、15:10ごろに低下が止まった。各事故報告書では、15:36の建屋爆発によりベントラインの弁開操作が止まったとされるが、実際にはその前から排気が止まっていたと考えられる。爆発時のテレビ映像を見ても、爆発直前には排気筒からの蒸気は認められず、すでに排気が止まっていたことが分かる。
ベント管が詰まったために排気が止まったと考えているが、これについては次回に詳しく論じる予定である。
404_sc_P_graph.jpg
上のグラフを詳しく見ると、ベント開始からしばらくは圧力低下が緩やかだが、14:18ごろから下がりかたが急になる。その理由は不明だが、もしかすると圧力抑制プールの水が、この時に沸騰を始めたのではないかと思われる。
圧力釜はゆっくりと減圧しないと危険であるが、同じことが起こったと思われる。圧力低下により沸点が下がって沸騰が始まり、気化熱と排気による温度低下により圧力が急激に低下したと思われる。
もし、この考えが正しければ、14:18ごろ0.725MPaの時に沸騰したことになり、この圧力に対応する水温は約166℃となる。沸騰によりスクラビング効果は失われ、放射能の大量放出に至ったと考えられる。
次の図は、圧力抑制室の圧力変化速度と上羽鳥の線量率の推移を対比したものである。上のグラフは圧力抑制室の圧力が1分間にどれだけ変化したか、その推移を表すグラフであり、下は上羽鳥の線量率グラフである。
大きく3つのピークがあり、それぞれ対応しているように見える。このことからも、上羽鳥がベント排気流の影響をもろに受けていることがわかる。
405_scPchen_kamihatori.jpg

(原発近隣におけるベント排気の流れ)
前述のように、ベントが始まった時には南東から風が吹いていた。しかし、1号機建屋爆発の映像では、爆発による塵が北に流れていく様子が捉えられている。従って、風向きが南東から南へ変化したと考えられる。
次のグラフは第一原発の北~東側にある6局のデータを比較するために重ねたものである。グラフの形などからベントの影響の有無が判別できる。
406_312_MPs-north.jpg
407rv_map_1Fn.jpg
[追記]上の図の、流れを示す線の位置はかなりアバウトです。ベント排気が止まる直前の詳しい飛跡については、詳細記載(7)に掲載しましたので、そちらをご覧ください。[追記終わり]

(郡山局のデータ)
このベント排気の流れを考える上で重要なのは、ベントとその後の建屋爆発の影響を識別することである。上羽鳥はベントの影響だけを記録しているが、原発の北に位置する郡山には、風向きとタイミングから考えると、1号機建屋爆発で放出された放射能が飛来し、ベント排気は飛来していないと考えられる。
郡山では15:40から線量率が急上昇し、15:43にピークの1559600nGy/h(1559.6μSv/h)に達したが、その後急速に下がって16:01には4746.8nGy/h(4.7μSv/h)まで低下した。その後も放射能の襲来が続いて線量率が上下するのではっきりしないが、残留放射能が少ないことは明らかである。
このように、ベント排気と爆発で放出された放射能の性質は異なり、爆発で放出されたものは、残留放射能となる粒子状の放射能は少ないと考えられる。放射能の量は、ベントで放出されたものの方がずっと多いと考えられる。
建屋爆発については次々回に論じる予定である。また、その後の線量率の増減についても、追って考察する。

(新山局のデータ)
新山局は第一原発の北北西3.9kmにある。「しんざん」と読む。15:45にピークの1030000nGy/h(1030μSv/h)まで上昇した。時間的には建屋爆発の影響と考えやすいが、残留放射能の影響が上羽鳥に匹敵するほど大きいので、上記の考察から、ベントで排出された放射能が飛来したものと考える。
しかし、ベントによる排出が停止したと考えられる15:10ごろから35分も経過しており、遅すぎるのではないかという疑問が湧く。これについては、地表付近まで降下したダストが地上付近の緩い風で運ばれたのではないか、と考えている。

(宮城県と岩手県へのベント排気の流れ)
3月12日には移動性高気圧が日本列島を通過していった。福島県・宮城県の沿岸部では、午後には高気圧の後ろ側になって南寄りの風となり、ベント排気は宮城県と岩手県まで流れた。
408_tenkizu_312-313.jpg
409_1F-takizawa_c.jpg

(仙台)
第一原発から北に約96km離れた東北大学病院にあるモニタリングポストのデータが公表されている。3月12日18時ごろ線量率が上昇を始め、23時ごろにピークの0.805μSv/hを記録、その後急速に低下した。
残留放射能は少なく、上記の議論からは建屋爆発による放射能が飛来したとも解釈される。しかし、放出された放射能の量はベントの方が圧倒的に多いと考えられ、爆発によるものだけが仙台に飛来したとは考えにくい。
仙台湾を長距離縦断する間に、気体の放射能と粒子状の放射能が、風に運ばれる速さの違いから分離されたと思われる。
なお、翌13日にもピークがあるが、これは3号機のベント排気と思われる。
410_sendai_tohoku-univ-hosp.jpg

(女川)
第一原発の北北東116kmに女川原発がある。日付の変わる0時ごろから線量が急上昇し、1:50に最高値21μSv/hがMP-2で計測されている。これは、通常時の線量率0.03μSv/hの700倍の値である。
また、それより前に小さなピークが2つ見られるが、前回記述したベント以前の放出によるものと思われる。
411_onagawa_312-14.jpg

次は女川原発3号機排気筒の放射線モニターのチャートである。排気筒モニターは、排気筒の上部から連続的に空気を吸引して放射線を計測するものである。計測器の手前には、ろ紙と活性炭の2種類のフィルターがあり、粒子状の放射能と気体のヨウ素が取り除かれるので、放射性希ガスからの放射線だけが測定される仕組みである。このモニターは、本来は女川3号機の排気を監視するためのものなのだが、外気をモニタリングする結果となった。
411b_ona_stack_u3b.jpg
0時過ぎに上昇し、2時前ごろに最大となり、4時前にはかなり低下し、6時ごろには止まった。飛来の前には毎秒約7カウントだった。これは天然の放射性ガスであるラドンやトロンによるものと思われる。2時ごろの最大値は毎秒約50カウントで、通常時の約7倍である。空間線量率と比較すると増加率はかなり小さいので、放射性希ガスは少なく、粒子状の放射能が主体であったと考えられる。前述のように、仙台湾を縦断する間に、気体の放射能と粒子状の放射能が分離されたと思われる。
石巻のアメダスデータによると、風向は飛来時には南から南西に変化している。遅い粒子状の放射能ほど東側に流され、女川に到達したと考えられる。
なお、排気筒モニターの値は、放射能通過後、毎秒10カウント程度と、飛来前よりも少し高くなっているが、これは、残留放射能のうち主にI-133が壊変したXe-133によるものと思われる。
411c_ishinomaki_wind.jpg
(滝沢市)
岩手県滝沢市にあるラジオメディカルセンターは第一原発の北方266kmに位置する。3月13日7:00に279nSv/h(0.279μSv/h)が測定されている。1号機ベント排気が南風に運ばれて北上川流域を北上したと思われる。
グラフから明らかなように、残留成分による減衰パターンが認められ、粒子状の放射能が飛来したと考えられる。散点的なデータのため、気体状の放射能については明確な判読はできないが、おそらく飛来したと思われる。
412_takizawa_311-330.jpg

(ベントで放出された放射性核種について)
ベント排気を観測したと考えられる局でガンマ線スペクトル・データがあるのは上羽鳥だけである。上羽鳥では線量率が高すぎて、詳細記載(1)で書いたように、ランダム・サム・ピークにより平滑化されてしまって、スペクトルを判読できない。
このため、残留放射能による空間線量率の減衰曲線から核種を推定した。放射能の減衰曲線は片対数グラフにすると直線になるので補助線的に並べると、だいたいの傾向が分かる。次の上羽鳥のグラフで、初めの数時間はI-132による減衰への寄与が大きく、15時間後にはI-133の寄与が大きいことが分かる。
I-132はTe-132が壊変して生じる。放射平衡の状態にあれば、Te-132と共に減衰し、このようなI-132による減衰パターンは現れない。I-132はTe-132に対してかなり過剰に含まれていたと考えられる。
413_kamihatori_312-14.jpg

同様にして女川のグラフに補助線を付け加えたのが次の図である。ここでは、I-132の寄与が認められない。これは飛来途中で過剰なI-132が減衰して、Te-132と平衡状態になったからである。
414_onagawa_312-14_d.jpg

次の図は同じ女川の約1ヶ月間のグラフである。半減期が数日から10日程度の放射能の関与が推定できる。曲線の傾斜が見やすいように、原図の縦横比を変えてある。約10日間はTe-132(およびこれに平衡なI-132)が、その後はI-131が支配的となる。
415_onaawa_mp_409sc.jpg
なお、このような既成の片対数グラフに補助線を入れるには、半減期ではなく、10分の1減期を計算しておくと便利である。1/10減期は半減期の3.322倍になる。

次のグラフは約4年間の変化を表したものである。女川MP-2のデータと、比較のために福島市の変化も示した。福島市は3月15日の大放出の影響を受けている。放射能の飛来はその時だけであり、減衰の状況が分かりやすい。また、線量率の最高も20μSv/h程度であり、女川とほぼ同じなので比較に適している。
416_onagawa-fukushima.jpg
女川の線量率は早期に低いレベルまで低下したのに、福島市は1桁高いレベルでの減衰となった。減衰パターンはどちらもCs-134の寄与を示しているが、セシウムの量は女川の方がかなり少なかったと考えられる。
女川の土壌の分析値は、Cs-134が727±34Bq/kg、Cs-137が779±36Bq/kgであり、文科省が公表した福島市の土壌データと比べると1~2桁小さい(女川の分析値の出典は、Watanabe et al., 2012, Geochemical Journal, 46, 279-285)。
このように、1号機ベント排気の特徴として、放出されたセシウムの含有率が少ないことが挙げられる。その理由については、次回に考察する予定である。
なお、福島市の線量が2013年10月ごろに低下しているのは、除染によるものである。

以上
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