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詳細記載 (3):1号機ベント以前の漏出

(1号機原子炉建屋の密閉性)
3月12日14時頃に1号機のベントが開始されたが、それより10時間も前の午前4時ごろから外気への漏出が始まった。その漏出経路については、どの事故調査報告書でも検討されていないと思われる。
2号機、3号機、4号機の原子炉建屋には津波の浸水があったが、1号機の原子炉建屋に津波の侵入は無かった。地震による建屋の損壊もなかった。爆発以前には建屋の密閉性は保たれていたと考えられる。
301_tsunami_shinnyu-keiro.jpg

(建屋の換気)
原子炉建屋の空気は、普段は常用換気系で換気されるが、緊急時には非常用ガス処理系に切り替わる。常用系と非常用ではフィルターの能力が違う。非常用ガス処理系の略称であるSGTSはStandby Gas Treatment Systemの略であり、何かの時のためにスタンバイしている、という意味である。
1号機では地震時、14:47に非常用ガス処理系(B)が起動した。しかし、15:37に津波により非常用発電機が停止し、換気扇が止まった。同時に、2系統あるもう一方のA系の弁も開いたと考えられる。
非常用ガス処理系の弁の状態は、1号機については調査されていないが(おそらく線量が高すぎて)、3号機では両系統とも開になっている。電源が失われた時に弁が開いた状態になるのか閉じるのかは、いわゆるフェイル・セーフ設計で決まっているようである。
下の図は、なかなか適当な図面が見つからず、5号機の換気系を示す図であるが、1号機も同様と思われる。ただし、この図は耐圧ベント配管が設置される前のものである。1号機では1999年に、「アクシデント・マネジメント整備」の一つとして、非常用ガス処理系をバイパスする形でベント・ラインが設置されている。
なお、下の図では給排気が建屋の最上部で行なわれているように見えるが、これは概念図であって、実際の空調設備は原子炉建屋とタービン建屋との間の2階にある。また、格納容器(ドライウェルとサプレッション・チェンバー)の換気は、点検時に作業員が立ち入る時に必要なものであり、「常用」という名称ではあるが、当然、運転時には閉止されているものである。
302_kankikei.jpg

次の図は2号機のベント・ラインの概念図である。1号機も同様になっていると思われる。ただし、この図では、1つの系統に2つのグラビティー・ダンパーが描かれているが、資料によっては1つのものもあり、1号機と全く同じかどうかはよく分からない。
なお、ベント・ラインとグラビティー・ダンパーについては、別の回で詳しく考察する予定である。
303_u2-ventline-SGTS.jpg

(放出経路について)
建物自体の密閉性は保たれていたはずであるから、換気・排気のラインが漏出経路として疑われる。考えられる経路は、①原子炉→建屋内部→ダクト(換気空調系)→非常用ガス処理系→排気筒か、②ベントライン→排気筒である。これ以外にも、③常用換気系の給気ラインを逆流→建屋内→ダクト(換気空調系)→非常用ガス処理系→排気筒や、④給気ラインを逆流→給気口から外へ出る経路が考えられる。さらに、⑤ベントライン→パージライン(常用換気系)→排気筒に至る経路も考えられる。
①以外の経路は、何れも途中の弁が閉まっているので、普通ではあり得ない経路である。高温高圧条件下での弁の密閉性が問われる。私見では、③、④、⑤の可能性は低いと思われるが、すべての経路について、弁や配管の耐圧性が調査・検討されるべきである。
上記④以外は、最終的に高さ120mの排気筒から放出される経路である。④の経路だけは、地上20m付近の2階にあると思われる給気口からの放出となる。この時期に外気に放出された放射能は、排気筒の頂上出口から漏出した可能性が高いと思われる。
このことは、まだ非常用直流電源が生きていた隣の3・4号機排気筒モニターのカウントが6時前後に上昇したこととも符号する。3・4号機排気筒は1・2号機排気筒の約240m南に位置する。高さはどちらも地上から120mである。
排気筒のモニターは排気筒内上部の空気を引き入れ、連続して放射線を測定するものである。この時期、3号機はまだ放射能を漏出する状態ではないので、1号機から放出されたものが、3・4号機排気筒の口から筒内に入ったものを測定したと考えられる。
この時期に放出された放射能は、ほとんどがキセノンであるが、空気の4倍以上重い気体であり、地上付近から出たものが地上120mの排気筒の口まで上昇することは考えにくい。1・2号機排気筒から放出されたと考えてよいと思われる。
304_u3u4_haikitou-monitor.jpg
305_haikitou_monitor.jpg

(フィルター・トレイン)
非常用ガス処理系の換気扇は電源喪失により止まっていたので建屋内部から排気筒への強制的な流れは無かったが、仮に建屋内部から排気筒へ放射能が流れたとすると、非常用ガス処理系のフィルター・トレインを通ったことになる。
これは4つのフィルターが並んだもので、活性炭フィルターも装備されている。ヨウ素には粒子状と気体のものがあり、通常のフィルターでは気体のヨウ素は止められないが、活性炭で吸着される、放射性希ガス(キセノンとクリプトン)以外の放射能はフィルター・トレインで止められる設計になっている。
306_kukichowa197010_fig5_sgts.jpg

(3月12日7時台に放出されたヨウ素を含む放射能)
次のグラフは、双葉町郡山の3月12日4時から15時までの空間線量率と風向・風速およびダストの推移を表している。風向きの変化で線量率が上下するのが読み取れる(短い矢印で示した)。
307_kooriyama_312_4-15_com_c2.jpg

郡山では4:29から線量率が上昇したが、7時過ぎには一旦通常時の線量率に下がった。この期間については、前回詳しく記述した。
その後8:01から急上昇し、8:22にピークの54576nGy/h(54.576μSv/h)を記録した。この上昇は、風向きが西から南東に変わったのに伴うものである。この後、18時ごろまで南東ないし南南東の風が吹き続ける。
このピーク時にはダストの値も顕著に上昇しており、粒子状の放射能を含むことを示している。8:44には631nGy/hまで低下した後、増減を繰り返した。ダストの値は低いレベルに戻った。

[追記・訂正]上記のダストに関する記述は誤りだと考えられるので、訂正します。ダスト計に空気を吸入するためのポンプが、地震あるいは津波により停電して作動停止となったと考えられます。非常用電源によって計測部のデータは記録されたが、本来の機能は損なわれており、ダストの計測としては意味の無いものとなっていたと考えられます。
放射性ダストの計測は、フィルターに捕らえた粒子状の放射能だけのベータ線とアルファー線を測定する仕組みになっており、気体状の放射能は計測されないようになっています。しかし、空気を吸引するポンプが停止したため、気体状の放射能が計測部に流れ込んだと考えられます。流量計のデータは小さいマイナスの値となっており、排気側から計測部に逆流したことを示します。おそらく計測器の熱で、空気の弱い流れが生じたと思われます。
従って、上の図で示した「ダスト」のグラフは、気体状の放射能(主にキセノン)のベータ線をもカウントしたものであり、ダストの増減を正しく表してはいないと考えられます。ただし、ヨウ素が12日の朝から放出されたことはスペクトルから明らかなので、ダスト・データに関する誤った認識が、全体の考察に影響するものではありません。[以上、追記・訂正:2016/9/19]

次の図は7時台から13時台までの郡山のスペクトルを重ねたものである。8時台は高線量による平滑化が起こっていてスペクトルが不明瞭だが、その後のグラフには、Xe-133、Xe-135、Kr-88、I-131、I-132、I-133のスペクトルが認められる。
ヨウ素を含む放射能が襲来したのは8:22のピークの前後30分ほどであり、その後のスペクトルは、残留放射能としてのヨウ素と、引き続き飛来したキセノンとクリプトンのものであると考えられる。8:44以降の線量率の増減は、キセノンとクリプトンの通過によるものである。
なお、Te-132の228keVピークは認められない。
308_spec_kooriyama_312-07-13.jpg

(3月12日7時~10時の放射能の移動)
次の図は、第一原発周辺に配置されている5局の線量率グラフを1桁づつずらして並べたものである。郡山から順に反時計回りに並べてある。郡山の8:22のピークが、時間遅れで次に続いているように見える。おそらく7時台に1号機から放出されたヨウ素を含む放射能が、反時計回りに移動したと考えられる。
各局のスペクトロメーターのデータからも、これらのピーク時にヨウ素を含む放射能が襲来し、ヨウ素が残留する様子が捉えられている。
309_senryo_312_4-14_5st.jpg

次のグラフは、上のものと同様に1桁づつずらして並べたもので、双葉町の北に隣接する浪江町の2局を郡山のグラフの上に表示したものである。幾世橋は第一原発の北8.2km、浪江は北北西8.6kmに位置する。幾世橋では9:05にピークの6700nGy/h(6.7μSv/h)、浪江では9:40にピークの5000nGy/h(5μSv/h)を記録した。
この2局はスペクトルのデータが無いが、14時台には飛来前より1桁高い線量率からの減衰パターンとなっており、ヨウ素を含む放射能の一部は北へ流されたと考えられる。
309a_senryo_312_4-14_n3st.jpg

ヨウ素を含む放射能の移動の様子を次の地図で示す。局名の横にピーク時刻と線量率を付した
310rv_map_1F_fukin_a3.jpg

沿岸部の郡山では8時ごろに風向きが西から南東に変わり、18時ごろまで南東ないし南南東の風が吹き続けた。一方、内陸の大野では、次のグラフのように、7:50ごろまでは弱い西風が吹いていたが8:10ごろに東風に変わり、9:20ごろから平均風速4~5m/sの西風になった。沿岸部では南寄りの風なのに内陸部では西寄りの風が吹くという時間帯がその後数時間続く。
このように沿岸部と内陸部では風の吹き方が違う。内陸といっても、大野は海岸から5kmほどしか離れていないのに、これだけ違うのである。それを考慮に入れると、上記のような反時計回りの放射能の移動というのは、妥当な解釈だと思われる。
311_oono_312_4-15.jpg

このような風の流れについての考察をせずに線量やスペクトルのデータだけを見ると、ヨウ素の放出が数時間続いたように解釈されかねないが、実際は7~8時ごろの数十分程度と考えられる。その後は主に希ガスだけを放出する状態に戻ったと思われる。
政府事故調(中間報告)によると、12日7時には消防車による原子炉への淡水注入を時々中断せざるをえない状況だったという。そのため、圧力抑制プールの水温が上がり、スクラビング能力が低下して、比較的低い温度で気化するヨウ素が漏出したものと考えられる。この状態は、およそ数十分間続いた後、おそらく注水量が増えて水温が低下したのであろうか、希ガスだけ放出される状態に戻ったと考えられる。

(山田局の概況)
双葉町山田は第一原発の西北西4.1kmに位置する。3月12日14時ごろからの1号機ベントで大量の放射能が放出され、南東からの風に流された。この流れは上羽鳥を通過したが、山田局はその流れより少し南にあり、ベントの影響を受けなかった。
そのため、山田局のデータは、ベント以前に放出された放射能をよく記録している。次の空間線量率のグラフからは、9時以降、2度の放射能飛来・通過とその後の残留放射能の減衰パターン、およびキセノンの短時間の通過によるスパイクが認められる。このスパイクは、本当はグラフの線よりずっと細いもので、この図では存在が強調されてしまっている。キセノン・スパイクについては後で詳しく論じる。
10時ごろから13時ごろまでの減衰パターンは、主に半減期の短いヨウ素132(I-132、半減期2.3時間)によるものである。
312_senryo-yamada_312_4-18_c.jpg

(山田局への第一波)
山田では、8:56から線量率が上がりはじめ、9:09には18655nGy/h(18.655μSv/h)まで急上昇した後すぐに減少し、9:22に87.2nGy/hと低いレベルに戻った。残留放射能がほとんど無いことから、放射線希ガスが通過したと考えられる。
続いて線量率が急上昇し、9:34に131520nGy/h(131.52μSv/h)を記録した。この襲来は10:21ごろに終わった。線量率は襲来前のレベルまで戻らず、およそ1570nGy/h(1.57μSv/h)から線量率が減衰する残留放射能のモードとなった。前述のように、この減衰には半減期の短いI-132の寄与が大きい。
次の図は9時台から12時台までのスペクトルを重ねたものである。9時台は例によって高線量による平滑化が起こっている。残留放射能はヨウ素のみで、テルルは認められない。
313_spec_yamada_312-09-12_c.jpg

(山田局への第二波)
次の主要な飛来は13:11から13:58にかけてのもので、ピークは13:33の33458nGy/h(33.458μSv/h)である。9時台の襲来に比べるとピーク時の線量率は低く、残留放射能の量も少ない。
この時期、沿岸部ではすでに南寄りの風が吹いていたが、風向きが一定せず、第一原発正門では13:00に東風1.7m/s、13:20に東風2.6m/sが観測されている。上空100mの風は地上付近の倍ぐらい速い。排気筒付近の風速を4m/sと仮定すると17分で山田に到達する計算になる。そうだとすると、だいたい13:00前後に放出された放射能が山田に飛来したと推定される。その後風向きが微妙に変化して南東方向になり、山田への飛来が終わったと考えられる。
この襲来時とそれに続く減衰期の線量率の変化を次のグラフで示した。前述したように、減衰期には針のようなパルス状の小さなピークが目立つ。
314_yamada_312-13-18.jpg

次の図は15時台の部分だけを拡大したものである。1つのデータの測定時間は20秒であり、パルスは20秒未満から1分程度の継続時間であることがわかる。
このパルスは14時ごろから始まった1号機ベントによる放射能の大量放出と直接の関係はない。それは、ベントが終わったとされる建屋爆発時(15:36)のずっと後まで見られるからである。山田では3月15日まで認められる。また、同様のスパイクは他の局でも多く認められ、ノイズではないと考えられる。
このパルスは残留性が認められないので、キセノンが短時間飛来したものであることは明らかであるが、直接原発から飛来したものかどうかは分からない。残留放射能として地上に付着したヨウ素がキセノンに壊変し、空気中に移動したものの可能性が高いと考える。ただし、定常的ではなく、なぜ、どのようにパルス状に飛来するのかは、よく分からない。
315_yamada_312-15_Xe-spikes.jpg

次のグラフは、13時台から17時台のスペクトルを重ねたものである。14時台から17時台のスペクトルが残留放射能の減衰によって少しずつ下がっている様子が見える。特に重要なのはテルル132(Te-132)のピークが認められることである。
316_spec_yamada_312-13-17_c.jpg

次のグラフは上の図と同じものを拡大して、Te-132の228keVのピークが見やすいようにしたものである。Xe-135の250keVに近いので間違えやすいが、よく見ると明らかに異なる。14時台のグラフでは肩状になっているが、15時台からはピーク状の高まりとして認識できるようになる。
このデータにより、テルルが13時台に飛来した放射能の残留成分であることが明確となった。
317_spec_yamada_312-13-17up_c.jpg

(放出核種の推移と放出経路の考察)
以上をまとめると、スペクトロメーターで検出された放射能は、12日4時から8時頃まではキセノンが主体で、ごく僅かにヨウ素が認められるだけだが、8時ごろからヨウ素(I-131, I-132, I-133)のスペクトルが明瞭になった。7時台に1号機からヨウ素を含む放射能が放出され、反時計回りに移動したと推定される。
その後、ヨウ素の放出は収まり、希ガスだけの放出状態に戻ったが、13時ごろにテルル132(Te-132)とヨウ素を含む放出が認められた。これらは非常用ガス処理系のフィルター・トレインで止められるものなので、そこを迂回するベント・ラインを通って排気筒から放出されたと考えるのが合理的である。
なお、常用換気系を通って外に出た可能性は、排気や給気部分のフィルターが粒子状のテルルを止められることから、否定される。従って、テルルの存在がベント・ラインを通ったことの重要な証拠と言うことができる。
しかし、まだ弁の開操作を実行していないのに、ベント・ラインを通って放出されたはずがないと思われるであろうが、その先入観を消してベント・ラインの耐圧性を冷静に検討する必要がある。ベント・ラインには幾つかの弁とラプチャー・ディスク(規定の圧力になると管を塞ぐ金属板が割れて蒸気を通す)がある。使われている弁の耐圧性についての情報が無いので、あくまでも推測ではあるが、11日深夜からの高圧に耐えられず、リークが起こったと思われる。また、12日4時頃から始まった消防車による注水の吐出圧力は、東電の公表資料(*)によると1MPa(10気圧)であり、ラプチャー・ディスク作動圧を優に上回る。注水の直後に線量が上昇したのは、注水の圧力で押し出されたと考えるのが自然である。

(*) 2015/12/17、東京電力「消防車による1号機原子炉注水の注水量に関する検討」p.6

以上
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