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詳細記載 (17):阿武隈越え:3月15~16日の3号機大量放出C(その1)

(大量放出C)
3号機の大量放出Bを詳細記載(14)で検討した。14日16:30から19:30にかけての減圧時に大量の放射能が放出されたと考えられる。
この時、格納容器の圧力低下は0.36MPa absで止まったのだが、その前の大量放出Aの時も同じ圧力で低下が止まっているのである。これは格納容器の圧力が0.36MPa absまで下がると蓋の密閉性が回復して、漏洩が止まったためだと解釈される。
その後、格納容器の圧力は22:40から上昇に転じたが、15日3:10に上昇が止まった。そこから測定が散点的になるが、下のグラフに示すように、しばらく横這いとなった後、下降傾向となる。
1701_pcv_P_314-16.jpg
周辺各地の線量データやライブカメラ画像などを検討すると、圧力上昇の止まった15日3時ごろから16日14時ごろまで、ほぼ連続して放射性蒸気の放出があったと思われる。これを3号機の大量放出Cと呼ぶことにする。この放出Cは、一般には2号機からの放出と誤認されているが、前回検討したように3号機のものである。
グラフが示すように、大量放出AやBの直前の圧力まで上がらず、頭打ち、ないし低下したことは、放出Cにおいては格納容器の蓋の密閉能力が落ちたと考えられる。おそらく、高温により蓋のシーリングに使われているシリコンゴムが劣化したと思われる。

(大量放出Cの時の気象状態)
放出Cは、15日早朝から16日昼過ぎにかけての1日半に及び、その期間の気象状態は大きく変化した。次の天気図のように、南岸に発生した低気圧が発達しながら北東に移動したことが風向変化の原因である。
1702_weather_315-16.jpg
次のグラフは福島第二原発の気象データから作成したものであるが、風向が大きく変化したことがわかる。15日は最初北風であったが、時計回りに東風から南東風になり、その後、反時計回りに北寄りの風に戻った。これに伴い放射能の移動ルートが変化することになる。
今回は、主に時計回りに経路が変化した放出Cの前半について検討する。
1703_2F_wind_315-16.jpg

(第一原発敷地境界の線量率)
この時期に第一原発で測定された線量率のグラフを次に示す。ほとんど正門だけの測定となっている。正門は3号機の南西に位置するので、北東の風が吹くと線量が上昇する。3つのピークが認められるが、これはワイパーのように変わる風向きが、北東からの向きに3度なったからである。そのことは上掲の風グラフで確認できる。
1704_1F_314-16.jpg

(大熊町夫沢の線量率)
夫沢局は福島県のモニタリング・ポストの中で最も第一原発に近い位置にある。3号機からは南南西1.4kmである。線量率グラフを次に示す。
1705_ottozawa_314-15.jpg
14日夜から大量放出Bのピーク群が現れた。これはブーメランのように吹き戻ってきたものであるが、高線量が続いたまま15日朝に測定記録が途絶えてしまう。どこまでがBで、どこからがCか分からないが、15日の早朝には放出Cが始まっていたと思われる。

(富岡町夜の森の線量率)
夜の森のモニタリング・ポストは第一原発の南南西7.3kmに位置する。15日6時ごろから放出Cによる線量上昇が始まる。第一原発正門では北~北東の弱い風が吹いており、夜の森に達するのに2時間程度かかったと思われる。従って、この放射能は4時ごろから放出が始まったと推定される。
1706_yonomori_314-15.jpg
また、楢葉町松館(第一原発の南南西14..2km)でも6時過ぎから線量上昇が記録されている。
風向きが東寄りに変わるため、これらのピークは比較的短時間で終息した。放出Bのピークに比べ、残留放射能による線量率の上昇が小さい。放出Cの初期には残留成分が少ないのが特徴のようである。

(阿武隈越え)
3月15日は、朝から夕方にかけて、北風から東風、南風と時計回りに変化する。東寄りの風に乗り、順次、南西、東、北西の3ルートで阿武隈山地を越えた。南から順に、川内村ルート、288号線ルート、請戸川ルートと呼ぶ。
1707_map-abukuma_time_rev.jpg

(川内村ルート)
15日7時から8時ごろに3号機から放出された放射性気流は、富岡川の滝川渓谷を遡って、9時ごろに川内村に達した。
1708_map_kawauchimura_7.jpg
川内村には可搬型モニタリング・ポストが3台設置されており、この時の線量変化が記録された。11:00には割山トンネル出口で44.58μSv/hが計測されるなど線量が急上昇した。
1709_map_kawauchimura_3a.jpg
次が3測点の線量率グラフである。これを見ると、大量放出Cの前に、放出Bの影響が川内村に及んでいたことも分かる。なお、その下のグラフには13日に1号機の影響による線量上昇も認められる。
1710_kawauchi-mura_314-317.jpg
残留放射能が、数時間前の夜の森と比べると、かなり増えていることから、格納容器の状態がさらに悪化したと見られる。また、川内村役場の残留放射能による線量率が比較的低いことから、放射性気流の本体は役場側ではなく、南側のルートを進んだのではないかと思われる。
次も同じ川内村の線量率グラフであるが、3月末までの変化を示す。3月22日などにも線量上昇があるが、川内村の主な残留放射能は15日に飛来したものである。例によってテルル132とヨウ素131の減衰曲線を補助線のようにしてグラフに添えると、だいたい両者が2週間の線量減衰に対して支配的であったと見てよいと思われる。
1711_kawauchi-mura_313-331.jpg
川内村から先のルートははっきりしない。15日には高エネ研と理研の研究者が磐越自動車道で線量を測定しており、差塩(さいそ)パーキングエリアの北西で線量率の高まりを検出している。これは放射性気流通過後の残留放射能によるものであると思われ、川内村ルートはこの付近を通過したと考えられる。
その先はだいたい西南西に進み、13時ごろ白河市に到達した。これが、放射能が阿武隈山地を越え、中通りの低地帯に飛来した最初である。
次の図は白河市の線量率グラフである。13:30に5.02μSv/hのピークが測定された。この時の風向は東南東であり、川内村ルートで飛来したと考えられる。その後、15時ごろから線量が上昇するが、これは南東ないし南よりの風に伴っており、大量放出Bのピーク3が茨城県と栃木県を経て白河市に達したものと思われる。
1712_shirakawa_315-16.jpg
白河市と同様に栃木県那須町でも13時に線量が上昇しだし、14:00には1.04μSv/hとなった。この時は東風であり、川内村ルートで飛来したと思われる。その後、南よりの風に変わるとともに、ピーク3によると思われる線量上昇があった。
このように「白河の関」付近には、発生の順番と逆順で放射能が到達した。

(288号線ルート)
16日9時過ぎから東よりの風となり、国道288号線沿いに西へ流れて、田村市から郡山市へ抜けるルートをとるようになった。
第一原発の西南西4.9kmの大野局では9:40から線量の上昇が始まり、10:24にピークの715320nGy/h(715.32μSv/h)に達した後、11:27に残留モードとなった。
山を越えた西側に位置する田村市では13時に線量が上がり始め、14:00にピークの2.20μSv/hになった。大野局に比べ、かなり低い値である。これは山越えの途中で大量の放射能を地表に残したためだが、測定点の総合体育館が小高い丘の上にあるためとも考えられる。核分裂生成物は重い物質だから、低地を選んで流れると思われる。
郡山市では14:05に8.26μSv/hが記録されている。また、15:23には前記の研究者チームが郡山東インターチェンジの1.3km北で12.8μSv/hを計測した。郡山東ICで気体状放射能のキセノン133を検出、ちょうど飛来した「放射性プルームの到達した瞬間」とのことである。
1713_matsumura_etal_fig2.jpg
次の図は、この時のガンマ線スペクトルである。使われたのはLaBr3シンチレーションスペクトロメータという高性能の携帯用測定器であり、NaI(Tl)のシンチよりも解像度が高い。
1714_gamma-spectrum_315.jpg
確認された核種は、キセノン133、テルル132およびヨウ素132、ヨウ素131、セシウム134、セシウム136である。セシウム137はヨウ素132と重なるのでピークとして識別できていない。
キセノンがあるので、放射性気体がまさに通過中であることが分かる。テルル132のスペクトルが明瞭で、セシウムも認められることから、粒子状放射能もかなり多いと言える。
なお、このルートの西延長上の会津でも14時ごろから線量が上がり始め、会津若松では22:20にピークの2.57μSv/hを記録した。

(請戸川ルート)
15日12時ごろに風向きが東から南東に変わり、放射能が北西方向の請戸川ルートに流れるようになった。請戸川ルートは、請戸川上流域の浪江町津島地区から飯舘村を通り、伊達市から福島市に至る山越えのルートである。
第一原発の西北西4.1kmにある山田局では11:57から線量が上昇し始め、12:08にピーク線量率478080nGy/h(478.08μSv/h)を記録した。放射性気流は13:02に通り過ぎて、線量率が55590 nGy/h(55.59μSv/h)に低下した後、残留放射能による減衰モードとなった。
その先、このルート上には飯舘村と福島市に測定点があるだけなので、詳しい移動経過の記録は無い。
飯舘村役場では14:00に0.14μSv/hだったが、15:00には3.44μSv/hになり、18:20にピークとなる44.7μSv/hに達した。福島市紅葉山にあるモニタリング・ポストでは、14:20から線量が上がり始め、18:10に14570.2nGy/h(14.57μSv/h)を計測し、さらに23:50には最高線量率17237.4 nGy/h(17.24μSv/h)を記録した。
飯舘村と福島市で、だいたい同じ頃に線量上昇が始まっている。これは、請戸川ルートの初期には、西側の川俣町を通って福島市へ流れたからだと思われる。風向きが時計回りに変化したため、最初は西側の川俣町を通り、その後東側の飯舘村を通る経路を採ったと考えられる。つまり、川俣町経由で福島市に到達するのと、気流が飯舘村側に移るのが同じ頃だったと思われる。
次に、請戸川ルートの中心的な移動経路を推定する。この一回の放射能飛来によって汚染地帯が形成され、その後の影響は無かったので、残留放射能の多い所が経路の中心と考えてよいと思われる。2011年7~8月に実施された線量率測定結果から、線量率の高い場所を中心部分とみなし、経路を推定したのが次の図である。
1715_koiki-moni_1m_gs.jpg
線量率が周りより目立って高い測定点に赤い囲みを付けた。
推定経路を順に列記すると、次のようになる。
大熊町夫沢北台、双葉町山田、浪江町高瀬川沿いの小丸、浪江町請戸川大柿ダムの西(川房)、浪江町津島地区の昼曽根と赤宇木、飯舘村長泥。
大柿ダムの上流部から請戸川水系を遡上するような形で放射能が移動し、阿武隈山地を越えたと考えられる。
このルートの汚染で重要なのは降水(降雪)の影響である。言うまでも無いが、阿武隈越え3ルートの中で最も著しく汚染されたのがこのルートである。降水あるいは降雪と残留放射能との関係は重要な考察事項であり、次回に特集する予定である。

(福島市紅葉山のモニタリング・ポスト)
請戸川ルートで山越えした放射能による線量率変化を最もよく記録したのは紅葉山のモニタリング・ポストである。次のグラフは3月末までの線量率変化を示す。
1716_momijiyama_315-31.jpg
キセノン通過に伴う明瞭なピークが認められないのが特徴であり、降水によって地表に付着した残留放射能による線量変化が記録された。福島市に大量の放射能が飛来したのはこの時だけであり、飛来後は減衰曲線を描くようになる。
例によって、テルル132とヨウ素131の減衰曲線(片対数グラフでは直線)を傾斜を比較するために補助線のように添えている。最初はテルル132(とそれが壊変したヨウ素132)、その後ヨウ素131による減衰が支配的である。
3月28日に線量率のスパイクが見られるが、おそらくノイズと思われる。
次の図は、紅葉山におけるガンマ線スペクトルの変化を表示したものである。
1717_momijiyma_316-28.jpg
3日間隔でスペクトルを表示した。最初はテルル132の娘元素であるヨウ素132のピークが支配的であり、セシウムなどのスペクトルは認識できないが、テルル132の減衰に伴い、3月下旬になるとセシウム134、136、ランタン140のスペクトルが認識できるようになった。なお、セシウム137はヨウ素132のピークと被っており、はっきりとは識別できない。
このように、かなりの量のテルルとセシウムが残留しており、粒子状放射能が多く含まれていたことが確認できる。

(二本松市)
請戸川ルートの放射性気流は、当時の気象データから考えて、福島市から南南西に移動し、二本松市に到達したと思われる。自治体による放射線量の計測は、当時、二本松市では行なわれていなかったので定点観測は無いが、研究者チームによる高速道路上での測定が行なわれており、20時ごろに二本松インターチェンジ付近でピーク線量が観測されている。
1718_matsumura_etal_fig3.jpg
請戸川ルートの放射性気流は、中通りをさらに南下したと思われるが、先行する288号線ルートの汚染と重なって、区別できなくなる。

(山越えについて)
放射能が阿武隈山地を越えて、中通りが汚染されることを想像した人は少なかったと思われる。心理的にも、山をバリアーと感じていたのではないだろうか。しかし現実として、それが起こってしまった。
リアルタイムの計測データや残留放射能による汚染度を検討すると、放射性気流は、山越えの峠付近を、かなり選択的に移動したと思われる。例えば、浪江町津島地区と飯舘村間の峠付近に位置する飯舘村長泥の線量が、同村で最も高かったが、峠越えの関係である。
阿武隈越えの峠の標高は、だいたい500~600mであり、海岸にある原発からそれだけの標高差を超えるような気流が発生したことになる。そのような気象条件がどの程度の頻度で起こるのか、正確な統計データを持たないが、かなり頻度は低いと思われる。3号機からの放出はその前から発生し、その後も継続したが、大量の放射能が山を越えて中通りに達したのはこの時だけであり、山越え気流は頻繁には発生しないと思われる。
一方、茨城県の沿岸部をはじめ、関東地方には何度も放射能が飛来した。海岸に建設された原発の事故において、放射能が移動しやすいのは沿岸部であり、山岳部に移動する確率は低いと思われる。とは言え、現実に山越えが起こったのであるから、これを直視すべきであることは言うまでも無い。
一回の放射能襲来で深刻な汚染地帯が形成されたのは、降水のせいでもあり、専門家が常用する確率論的には、可能性の低い「事象」なのであろう。「事実は小説より奇なり」とは、たしか江戸川乱歩の言葉だったと思うが、これに倣って「事実は確率論より奇」と言いたい。確率論を否定するつもりは無いが、確率を使って自分の都合の良い方向に結論を持っていくのは正視できない。

東北地方の太平洋岸では冷害をもたらす山背と呼ばれる北東風が有名である。梅雨時から夏にかけて発生するが、この時期に事故が起こっていた場合、山越え気流による阿武隈越えの「確率」はもっと高かったと思われる。

以上
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