記事一覧

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

詳細記載 (14): 3号機3月14日大量放出の移動経路

(3月14日に2回の大量放出)
前回考察したように、3号機の建屋爆発によって格納容器の蓋が緩み、そこから蒸気が抜けて急減圧が起こった。その後11:20に圧力の低下が止まり、11:55から上昇に転じた。そして16:30から2回目の減圧が始まり、18:40に減圧が止まった。
損傷した格納容器の蓋の機密性は中の圧力によって変わり、ある程度圧力(および温度)が低下すると漏洩が止まるようである。また、単純に圧力に反応するのではなく、一旦閉まった後、圧力が上昇しても暫くは持ちこたえ、かなり圧力が上昇してから再び蒸気が噴出したと思われる。そのような間欠泉的な挙動が推定される。
1401_u3_prs_314.jpg
このように14日には2回の放射能大量放出があったと考えられる。1回目をA、2回目をBとする。

(大量放出A)
爆発直後の大放出は西風に乗って太平洋上を東へ移動した。従ってこの放射能が日本で直接観測されることは無かった。ただし、地球を一周して3月下旬から4月上旬に日本を通過したものは観測されたと推定される。
CTBT(包括的核実験禁止条約)観測網のデータでは、3月18日からカリフォルニア州サクラメントとハワイ州オアフで観測された放射能が大量放出Aと推定される。大量放出Aの放射能は4~5日で太平洋を横断したと思われる。
サクラメントでは2日前の16日から放射能が観測されているが、それは1号機ベント由来のものである。地球規模の放射能の移動や1号機との識別についての論考は別途まとめる予定である。
次の天気図に示すように、Aは太平洋上で日本から離れつつある移動性高気圧の北の縁を東に移動したと推定される。
1402_0314_00_12.jpg

(大量放出B)
一方、Aの5時間後、Bが西風に乗って海上に出たが、途中で風向きが変わって、最終的には北風に流されて南下した。天気図で見ると、北海道の北を通過した低気圧の、後ろ側に入ったと考えられる。
次のグラフは福島第二原発の風向・風速データを示す。21:40から22:10にかけて、風向きが西から北東~北に変化しているが、この時に第二原発の線量が上昇した。
1403_2F_wind_314-15.jpg
次の図は、上のデータを基に、11:00から翌15日12:00までの風のベクトルを繋ぎ合わせたもので、実際の風の移動状態ではないが、それを考察するための参考に作成したものである。
この図から、18時頃から海上で滞留し、22時頃から北東風で沿岸に吹き戻され、その後北風で南下する経路が想像できる。
1404_wind_314-11.jpg
次に、原発周辺のモニタリング・ポストのデータを細かく見ていく。最初に線量が上昇するのは原発の北に位置する郡山局で、19:05から上がり始め、19:30にピークの230670nGy/h(23.067μSv/h)を記録し、20:16に収まった。この局には風向風速計があり、放射能がどの方向から飛来したかが分かる。この時は東風に伴って線量が上昇しているので、原発から直線的に飛来したのではなく、一旦洋上に出たものが、陸に吹き戻ってきたものと考えられる。
2番目に線量が上昇したのは原発の南に位置する夫沢局である。19:40に上昇が始まり、増減を繰り返して、23時ごろから200000nGy/h(200μSv/h)を超えるような高原状態となり、データが途絶える15日6:50まで高線量の計測が続いた。これは15日朝からの大量放出と重なったためである。
夫沢局の線量上昇に続いて20時台には向畑局と山田局で比較的弱い線量上昇が記録された。
続いて第一原発正門で21:25から上昇が始まり、21:37にはピークの3130μSv/hが測定された後、22:45に終息した。この時の風は、上昇直前の21:20には北西の風0.7m/sだったのが、上昇の始まる21:25には南西の風0.9m/sに、ピーク時の21:37には南の風1.7m/sに変わり、終息時の22:45には北北東4.4m/sであった。このことから放射能は南側から襲来し、北風で去ったことが分かる。海側に流された放射能がブーメランのように舞い戻った後、北風に吹き去られたと考えられる。
次いで線量上昇が始まるのは、夜の森局が21:20、下郡山局と福島第二原発、波倉局が21:40である。この第二原発周辺の地域からは北東ないし北の風に乗った放射能の流れが整列するようになる。
これらを地図上に表わしたのが次の図である。
1405_mpmap_314-15.jpg

(大量放出Bの隊列南下)
福島第二原発付近からは北風に乗り、隊列を組んだかのように沿岸部を南下する状況が推定できる。
次のグラフは福島第二原発のモニタリング・ポストの線量率変化である。前駆的なピーク(pk-1)の後ろに高線量のピークが2つ(pk-2とpk-3)続いている。
グラフのパターンから、pk-1は残留放射能が少なく、気体状のキセノンが主体であると推定される。後ろになるほどピーク後の線量率が高くなり、残留成分が多くなることが分かる。
1406_2F_314-15.jpg
次は第二原発の南9.4kmにある二ツ沼局の線量率変化である。ピーク3は複数のピークが集まっており、ここでは3つの高まりが見られる。
1407_futatsunuma_314-15.jpg
次の図は5地点の線量率変化グラフを北から順に並べて、ピークを対比したものである。
1408_profiles_314-15_fk.jpg

(茨城県沿岸部)
次は茨城県沿岸部の6地点と内陸の水戸市の線量率グラフを並べたものである。北茨木市では15日0:20から線量が上昇した。隊列南下が始まった福島第二原発を基点とすると南に約60km離れており、2時間20分かけて移動したので、毎秒約7m(時速約26km)で移動したと計算される。
北茨城のアメダス・データでは、15日1時(1:00までの1時間平均)は北東の風1.8m/sであり、放射能の移動速度よりかなり低い速度である。これは陸上と沿岸の海上とでは風速が大きく異なるためであり、陸上の気象データだけでは放射能の移動を推測できないことを示している。
1409_profiles_314-15_ib.jpg
この図からわかるように、pk-1は全域で認められるが、pk-2はひたちなか市以南では認められない。これは進路が西に変わったためである。また、北茨城ではpk-3はaとb2つのピークに分かれていたが、pk-3bは東海村付近から南には続かない。
また、pk-3の後ろにpk-4が観測網の南部で認められ、南の地点ほど明瞭なピークになる。これは福島県沿岸では認められないので、海上を移動して直接鉾田市付近に上陸したと思われる。

(東海村周辺のモニタリング・ポスト網)
東海村と大洗町にある原子力施設周辺には、茨城県のモニタリング・ポストが41局配置されている。おそらく世界的に見ても最もモニタリング・ポストの密度が高い地域である。これと比較すると福島県のMP網は貧弱に見える。
41局のうち6局は停電で止まっていたが、35局で空間線量率が測定された。この観測網のデータにより、放射能の詳細な移動状態がわかる。
観測網北端の日立市では3月15日0:50から線量が上昇しだした。次の図は最初に線量が上昇し始める時刻の等時刻線を示す。海岸付近の移動速度が速く、内陸では遅くなる状況がよく分かる。
日本の原発は海水を二次冷却に使っており、海岸に位置している。海岸線に沿った海上の移動は沿岸部の陸上に比べて4倍速かったが、さらに内陸部と比べるとおそらく10倍以上違うと思われる。
原発を中心にして、単純に10km圏内などとコンパスを引いて避難区域と指定するようなやり方が合理的でないことは明らかである。
1410_tokai-MP_15-fr.jpg
次の図はpk-1の時刻と線量率を示す。
最も南に位置する鉾田市樅山の線量率が最も高い(496nSv/h)。このことから、pk-1の流れの中心は観測網より南を通過したと推定される。
1411_tokai-MP_15-pk1.jpg
次はpk-2である。Pk-1から遅れること2時間半で日立市に到達した。
既述のようにひたちなか市から南ではピークが見られない。東海村付近で進路が南から西に変わったためである。
内陸の常陸太田市磯部で最大値5081nSv/hが記録されている。
1412_tokai-MP_15-pk2.jpg
次はpk-3である。pk-2から遅れること約2時間で日立市を通過した。
観測網の北部では二つのピーク(aとb)が認められるが、東海村の南ではbのピークが見られない。
特記されるのは、内陸部の常陸太田市久米でpk-3aが6:40という早い時刻に記録されていることである。久米は海岸から約14km離れており、沿岸部からかなり時間がかかる。例えばpk-2の場合、沿岸部から30分の遅れがあった。しかし、pk-3aの場合は沿岸部の日立市大沼と同時刻であった。
久米や大沼は観測網の北の端に位置し、それより北側の情報が無いので推測になるが、大沼より北側の沿岸部で内陸側に侵入したと考えられる。日立市の海岸と常陸太田市の間には標高300m程度の山地があるが、放射能を含む気流はこれを越えたということになる。また、pk-2でも常陸太田市で最大値が記録されていることから、同様の山越えが推定される。
このようにpk-3aの先頭部分はpk-2と同様、西へ進路をとったと考えられるが、本体は南下した。南下ルートは、pk-1と同様に、最も南に位置する鉾田市樅山の線量率が最も高い(5343nSv/h)。このことから、南下したpk-3a(本体)の中心は観測網より南を通過したと推定される。
pk-3bは東海村から南では認められない。進路を西にとったと考えられる。このように、進路の変化がpk-2を含めて3回起こった。
1413_tokai-MP_15-pk3.jpg
pk-3から遅れること4時間20分でpk-4が現れた。ひたちなか市沿岸部からピークとして認識できるようになり、最も南の鉾田市樅山で最も高い線量率(2114nSv/h)となる。図のように、この放射性気流は海側から南西方向に移動し、鉾田市南部の海岸付近を中心に、陸側に侵入したと指定される。
このピークは、先行するピークの残留放射能により線量が上がっている状態の上に載っているので、下図においては、ピークの線量率とともに残留放射能によるバックグラウンド(bg)の数値も記入した。
1414_tokai-MP_15-pk4.jpg
次のグラフは鉾田市樅山での空間線量率の変化を示す。上記の様に、pk-4はpk-3の残留放射能の減衰曲線の上に載っており、pk-4自体の残留放射能は無さそうである。このことから、pk-4の放射能は気体状放射能であり、残留性分を含む先行ピーク群とは性質が異なると思われる。
これまで考察してきたように、原子炉建屋爆発以降は、格納容器の蓋が緩んで、格納容器から直接外気に放射能が放出されたと考えられるので、気体状放射能だけが出ることは考えにくい。よって、pk-4は3号機大量放出Bとは別物の可能性が高い。pk-4の正体ついては、次回に考察する予定である。
1415_momiyama.jpg
なお、pk-4の後ろには弱いピーク群が続いているが、一連の集団であると思われる。

(関東地方の経路)
次に広域の移動経路を推定する。
先ずピーク1である。沿岸部を南下した流れの中心が、鉾田の南から霞ヶ浦を通ってつくばを経由し、東京湾へ抜け、さらに伊豆半島を巻いて11:00には静岡まで達したと推定される。つくばの線量率が最も高いこと、東京湾周辺では川崎と横須賀が高いことからこのようなルートが考えられる。
首都圏ではこの影響で4時から7時ごろにかけて線量が上昇した。
1416_map-kantou_pk1_rev.jpg
次はピーク2である。前述のように東海村付近で進路を西に変えたと考えられる。pk-2の中心は、つくばから埼玉を通り、相模湾に抜けたと推定される。一部は分岐して甲府に到達した。
首都圏では10時から12時にかけて線量が上昇した。このうち和光では首都圏で最も高い1.62μSv/hが測定されている。
1417_map-kantou_pk2_rev.jpg
続くpk-3aの先頭部は西に進路をとり、10:00に宇都宮、13:00に前橋と高崎を通り、軽井沢を抜けて22:00に長野に到達した。
pk-3aの主要部分は沿岸部を直進し、そのまま太平洋を南下したと見られる。
また、西進したpk-3bは、途中で北上して大子町に達するルートをとった可能性がある。
1418_map-kantou_pk3_rev.jpg
最後にpk-4であるが、前述のように12時に鉾田市付近かを南西に通過した後、16時から19時にかけて首都圏を通過したが、千葉付近から北西に方向を変えて、20時に前橋に達するルートをとった。19:00には東京で南東の風2.1m/sが観測されており、この風に乗って群馬へ流れたものである。
1419_map-kantou_pk4_rev.jpg
以上見てきたように、整然と隊列を組んだかのように沿岸を南下した放射性気流は、関東平野に差し掛かったところで編隊を崩し、複雑な経路となった。

(東海村周辺の残留放射能分布について)
3月15日に放射性気流が通過後した後、残留放射能によって空間線量率のレベルが高くなったが、それには地点によってかなりの違いが見られる。例として、最も高いひたちなか市堀口と、最も低い鉾田市荒地の線量率変化を次に示す。
1420_horiguchi-arachi_314-15.jpg
線量率の減衰パターンから、ヨウ素132はテルル132と平衡関係にはなく、かなり過剰に存在したことが分かる。その傾向は荒地のグラフで明瞭であり、テルルとヨウ素の比率も場所によって異なることが分かる、
次の地図は3月16日0:00の各地点での空間線量率を記入したものである。北側の方が比較的高い傾向があるが、明瞭な傾向は認められず、ばらつきが目立つ。
1421_tokai-MP_3160000_resd.jpg
このような違いができるのは、襲来した気体状と粒子状放射能の構成比率が場所によって異なることと、地表の状態や気象条件によって粒子状放射能が定着・残留する程度が違うことの2つが考えられる。
これについて検討するために、堀口と荒地のガンマ線スペクトルを比較したのが次の図である。
1422_spec-pk3_hikaku.jpg
このグラフは、縦軸の上限が固定されており、それを超える値になると、天井から跳ね返るような感じでグラフが折り返るようになっている。上の図で、荒地の方はキセノン133のピークが天井にぶつかっているが、堀口の方は天井まで届いていない。逆に堀口の方がヨウ素のピークは高く、テルル132のピークも認められる。このように、各地点へ襲来した時の放射能構成比がはっきり異なることが分かる。
なお、荒地ではキセノン135の小さいピークが認められるが、分解能の悪いNaI(Tl)でも詳しくみれば近接するテルル132のピークと識別が可能である。
1423_spec-residual_hikaku.jpg
上のグラフは両地点の残留放射能のスペクトルであり、堀口では明瞭なテルル132のピークが見られる。また、その娘元素であるI-132も明瞭である。一方、荒地ではテルル132のピークは小さく、I-132のパターンも不明瞭となり、これに隠されていたI-133やI-131のピークが見え始めている。
このように気体状と粒子状放射能の割合はかなりばらつきがあった。

(大量放出Bの核種)
次に、大量放出Bに含まれる放射性核種について整理しておく。
関東地方には、東海村、つくば市、千葉市、東京都、和光市、高崎市に研究・分析機関があり、分解能の高いゲルマニウム半導体検出器を用いた詳しい放射能調査が行なわれた。それによると検出された放射能は次の通りである。
粒子状放射能:Nb-95, Mo-99, Tc-99m, Ag-110m, Te-129m, Te-129, Te-131m, Te-131, Te-132, I-131, I-132, I-133, Cs-134, Cs-136, Cs-137, Ba-140, La-140
気体状放射能:Xe-133, Xe-133m, Xe-135
このうち主要な放射能は、Xe-133、I-132、I-132であり、I-133、Te-132、Cs-134、Cs-137がこれに次ぐ。これら以外の放射能の空間線量率への寄与は非常に小さい。
なお、ガンマ線を放出しないため分析が難しいSr-89とSr-90については、この時期に限定した捕集試料の測定は行なわれていないようだが、濃度的には低いと思われる。

(大量放出Bの粒子状ヨウ素の構成比)
常温空気中のヨウ素には気体と粒子状の2相がある。気体はチャコール・フィルターで、粒子は濾紙で、それぞれ空気中から捕集される。粒子状のものは残留放射能になりやすい。
残留放射能とは、普通は地表に残された放射能のことを指すと思われるが、体内に吸引されて残留したものも「残留放射能」と言ってよいであろう。通常、外気より体内の方が暖かいので気化しやすいため、空気中で気体の状態のヨウ素が吸引後に体内で粒子状に変化して付着することはなく、呼吸によって再び体外に排出されやすいと思われる。体内被曝のリスクが高いのは粒子状ヨウ素であると考えられる。
また、テルル132はヨウ素132の親元素であり、体内に取り込まれるとヨウ素131より高いエネルギーを出すヨウ素132に壊変する。テルルは粒子状であり、やはり粒子状放射能のリスクの方をより警戒しなければならない。
大量放出Bについては、東海村にある原子力科学研究所のデータ(JAEA-Data/Code-2012-010)が各ピークの放射能を最もよく記録している。
試料捕集期間、ピーク番号、粒子状ヨウ素131の全ヨウ素131に対する比は次の通り。
1:25-1:45 (pk-1) 0.32
4:25-4:45 (pk-2) 0.63
6:55-7:15 (pk-3a) 0.51
7:55-8:15 (pk-3b) 0.55
先頭のpk-1は粒子状の比率が小さい。気体状放射能の方が移動速度が速いために、構成比が変化したものと思われる。後続のピークにはあまり大きな違いが無いが、pk-2が最も粒子状の構成比が高い。
炉内の状態が悪化するほど粒子状放射能が多く放出されるであろう。また、核種の構成比にも変化があると思われる。そのような観点から、核種の構成比率について、15日以降に放出されたものも含めて、今後、整理し検討するつもりである。

以上
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

足田考人

Author:足田考人
FC2ブログへようこそ!

最新コメント

カテゴリ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。