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詳細記載 (10):3号機の再臨界

今回から3号機について考えていく。
次のグラフは3月13~14日における格納容器の圧力変化を示す。建屋爆発までに4回のベント操作が行われた。最初の2回は減圧に成功しているが、後の2回はよく分からない。
今回は最初の2回のベント排気について検討する。
1001_pcv_P_313-15.jpg

(3号機のベント、1回目)
1回目のベントは、あらかじめベントの弁を開けてから、圧力容器の逃がし安全弁(SR弁)を開けて実施された。SR弁の操作には120ボルトの直流電流が必要なのだが、政府事故調によると、駐車場の車から12ボルトの電池を集めて10個を直列にしたということであり、現場の必死の工夫が感じられる。
ベントは9:08に開始された。
次の画像は13日10時に撮影された東電のライブカメラ映像である。排気の白い蒸気が見やすいようにコントラストを上げてある。短い蒸気が水平に海側へ流されている。蒸気(霧状の水滴の集まり)が短いのは温度があまり高くなく、すぐに蒸発するからである。1号機のベントに比べると、圧力抑制プールの状態は良かったと思われる。
1002_20110313100045c.jpg
次は衛星画像(GeoEye)である。正確な撮影時刻は不明だが13日の10時台と思われる。排気筒の上から東南東方向に蒸気が排出されている。やはり白い蒸気の長さは短い。
1003_GE1_13MAR2011.jpg
このように1回目のベント排気は西風で海側に流された。そのため、周辺のどのモニタリング・ポストにも検知されることはなかった。
11時のライブカメラ映像には白い排気は写っていないので、ベントは11時前には停止していたと考えられる。圧力抑制室の圧力は10:55の0.22MPaを最低値として上昇に転じている。ベントは2時間弱続いたと思われる。
このように1回目のベントの影響は周辺では記録されなかったが、遠方で測定された可能性がある。13時ごろに風向が西寄りから南寄りに変わり18時頃まで南風が吹いた(第二原発の観測記録に依る)。従って、太平洋上に流れたベント排気は、その後北上して宮城県などで検知された可能性がある。
次の図は仙台の東北大学病院で測定された線量率変化を示す。3月13日16時(本文では18時)に最大値0.963μSv/hが測定された。
断定はできないが13日に仙台で観測されたピークは3号機1回目のベント排気の可能性が高い。線量率が短時間でバックグラウンドに戻っており、残留性の無い放射能である。
1004_sendai_tohoku-univ-hosp.jpg

(3号機ベント1回目の後の圧力上昇)
1回目のベントが11時前に止まった後、1時間ほどは原子炉の圧力に大きな変化は無かったが、12時ごろから急激に圧力が上がった。A系原子炉圧は、11:55に0.12MPa(gage)だったが、12:40には0.45MPa(gage)に上昇した。この時期の圧力データは非常に散点的であり、その前の12:30に2回目のベントが開始されており、ベント開始直前には、おそらく0.5MPa(gage)に達していたと思われる。
このMPa(gage)という単位は大気圧との差圧であり、実際の圧力MPa(abs)より数値が約0.1小さいので、11:55は0.22MPa(abs)、12:30頃は推定0.6MPa(abs)ということになる。この圧力に対応する飽和蒸気温度は、約123℃と約159℃であり、35分で約36度上昇したと考えられる。
圧力抑制室も、11:25の0.23MPa(abs)から、12:40には0.48MPa(abs)に上昇している。圧力抑制室とは文字通り圧力の上昇を抑えるため、大量の水が(3号機では2980㎥)入れてあるのに、短時間にこれだけ圧力が上がるのは異常なことである。
この時の3号機の崩壊熱は、下の図に示すように約10MWである。原子炉停止から2日近く経っており、かなり弱まっている。
1005_houkainetsu.jpg
10MW = 10,000kJ/s である。水の蒸気潜熱を約2,100kJ/kgとして計算すると、1秒間に約4.8kgの水が蒸発すれば崩壊熱による温度・圧力上昇を抑えられるはずである。これは1時間に約17トンであり、圧力抑制プールの水で充分、というか余裕だったはずである。また、9:25から12:20まで消防車による淡水注水が行なわれており、注水量は不明だが、ある程度の水が足されていた。
このように、12時ごろの圧力上昇を崩壊熱だけでは説明できないと考えられ、再臨界が疑われる。

(3号機のベント、2回目)
13日12:30に2回目のベントが実施された。ベントは2時間ほど続き、減圧に成功した。次の2枚は13:00と14:00のライブカメラ画像である。13:00には蒸気が海側に流されているが、14:00には陸側に向かって流れている。従って、ベントの後半の排気は、モニタリング・ポストで測定されているはずである。
1006_20110313130058.jpg
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次のグラフは、前々回にも掲載したキセノン135と133のガンマ線スペクトル・ピーク比の時間変化である。13日午後に、明らかにピーク比の低いグループがあり、3号機の2回目のベント排気のものと考えられる。
なお、このグラフで「3号機ベント排気」と表記したグループの後半のものは、意図的なベント操作によるものではなく、ベントラインからのリークの可能性がある。これについては次回に検討する予定である。
1008_Xe135-133_ratio.jpg

各モニタリング・ポストについて、2回目のベント排気に因ると考えられる線量率の変化などを詳しく検討した結果、排気が流れた経路とその変化を推定することができた。次の図は、各地点におけるベント排気到達時間と、推定される移動経路を示したものである。
1009_map_u3-vent2_a.jpg

(2回目のベント、北側への流れ)
ベント開始後、風はずっと海側に向かって吹いていたが、急に風向きが変わった。東電公表資料にある原発敷地MP-4付近のデータによると、風向きが変わったのは13:44頃のことであり、南南東1.3m/sが記録されている。MP-4の線量率は、13:40に44μSv/hだったのが、ピーク時の13:52には1557.5μSv/hに達した。
原発の北に位置する郡山局の線量率と風向・風速のグラフを次に示す。
1010_kooriyama_313_12-18.jpg
郡山局では13:53から線量率の上昇が始まり、14:02にピークの12314nGy/hを記録、14:06に7372nGy/hまで低下した。この部分だけが3号機のベント排気の影響と考えられる。その後にもピークが続くが、すべて1号機からのものである。
このように北側にベント排気が流されたのは、かなり短い時間であった。

(2回目のベント、南西への流れ)
次に風向が北東に変わり、排気が南西方向へ流された。
第一原発正門付近では13:50から線量率が上がり始めた。この時は5.0μSv/hだったが、ピークの14:20には57.6μSv/hに上昇、その後15:30には4.5μSv/hまで低下した。
第一原発の南から南西方向には、夫沢、南台、向畑という3つのモニタリング・ポストが並んでおり、順にベント排気による線量率の上昇が記録された。各地点の線量率上昇の開始時刻、ピーク時刻、終了時刻と、その時の線量率は次の通りである。
夫沢:開始14:01(972.75)、ピーク14:22(12167)、終了15:35(776)
南台:開始14:09(487.53)、ピーク14:30(14191)、終了15:30(414.95)
向畑:開始14:18(86.8)、ピーク14:50(5355.1)、終了15:18(86.0)
(括弧内の数字は線量率で単位はnGy/h)
この3局の線量率変化グラフを次に示す。
1011_313-vent_sw3st_rev.jpg
この地区では13日の8時過ぎから線量率が上昇した。3号機の1回目のベントより前から上昇が始まっており、1号機由来の放射能の影響である。そのことは、キセノン135/133ピーク比が高いことからも裏付けられる。
この残留放射能はヨウ素(131、132、133)から成り、テルル132は含まない。これは、前回考察したように、この時期の1号機建屋から放出された放射能の特徴である。減衰曲線は、最初、ヨウ素132の減衰が支配的なパターンとなっている。
3号機の2回目のベント排気による線量上昇は、この減衰曲線に乗っかる形となっており、ピークが終わると元の減衰曲線の上に戻ってきている。このパターンは、ベント排気に残留性の放射能が含まれていないことを示す。従って、このベントも成功したということができる。

(2回目のベント排気でキセノン135mを検出)
このベント排気のガンマ線スペクトルを詳しく検討した結果、キセノン135mを特定した。次の図は向畑局の13日13時台と14時台のスペクトルと、14時台から13時台を引いたものを示す。14時台はベント排気飛来中のデータ、13時台はその前の1号機の残留放射能のデータであり、両者の差がベント排気だけのスペクトルと考えられる。
1012_mukaihata_313-14h_spec.jpg
キセノン135mのスペクトル(526.6keV)とヨウ素133のスペクトル(529.9keV)が接近しているので、解像度の悪いNaI(Tl)では、そのままでは識別できないが、引き算をすることで特定できた。上記のようにベント排気には残留成分が含まれないこと、つまりヨウ素が無いことが明白なので、このような処理が有効なのである。
次のグラフは、同じ向畑局の15時台と16時台のスペクトルとその差である。今度は前の方がベント排気通過中のデータで、後の方が排気通過後の1号機残留放射能のデータとなる。
この場合に注意すべきなのは、半減期の短いヨウ素132(約2.3時間)は1時間に26%減少するので、引き算しても見掛けのピークが出ることである。しかし、ヨウ素133(半減期20.8時間)の場合は、1時間当たり3.3%しか減少しないので、見掛けのピークはほとんど出ない。従って、引き算スペクトルの520keV付近に認められるピークは、キセノン135mと判断できる。
1013_mukaihata_313-15h_spec.jpg
なお、夫沢と南台では残留放射能による線量が高すぎて、向畑と同じやり方でキセノン135mのピークを識別することはできなかった。

(3号機の再臨界)
このように、3号機のベント排気に半減期の短いキセノン135m(15.29分)が含まれていたことが明らかとなった。1号機と同様、再臨界の証拠である。詳細記載(2)で考察したように、原子炉圧力容器の急減圧により制御棒が脱落し、即発臨界が起こったと考えられる。
駐車場の車のバッテリーを集めて安全弁の開操作を行なった結果、8:55に7.3MPa(gage)だった原子炉圧力は、9:10には0.46MPa(gage)まで急減圧した。圧力容器の下から制御棒を出し入れする沸騰水型原子炉(特に旧型)は、制御棒を上下させるメカニズムに原子炉の圧力を利用している関係から、急に圧力が低下すると制御棒の脱落事故が起こる。その詳細は1号機の再臨界を考察した「詳細記載(2)」に記述した通りである。
1号機の場合、安全弁を開けて減圧するという操作は行なわれておらず、安全弁が壊れて圧力が低下したというのは推定である。圧力データは時間的に跳んでおり、急減圧したという明確な記録も無い。しかし、3号機の場合は、安全弁の開操作が行なわれ、圧力データも多いので、急減圧は記録上も明確である。
16時以降、キセノン135mのスペクトルは確認できないので、おそらく臨界状態は治まったのではないかと思われる。臨界は9時ごろ始まって7時間ほど続いたと推定される。1号機の再臨界に比べると継続時間は短かったと思われる。

以上
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