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詳細記載 (9): 建屋爆発後の1号機のリーク

(爆発後も1号機のリークが続いていた件)
前回の考察のように、1号機からの放射能と3号機のベント排気を識別できることが分かった。その結果、3月14日の3号機建屋爆発までにモニタリング・ポストで測定された放射能のほとんどは、1号機由来であることがはっきりした。今回は建屋爆発以後も外気に放出されていた1号機の放射能について考察する。3号機ベント排気の詳細は次回に特集する予定である。
次のグラフは、原発の北に位置し、1号機建屋爆発の時に風下に当たっていた双葉町郡山と浪江町幾世橋の線量率グラフである。この2局は、爆発の前に実施されたベントの影響を受けておらず、爆発時および爆発後に飛来した放射能による線量率変化が記録されている。幾世橋の方が原発から離れているので線量の上昇が遅れるパターンとなっている。
901_koori-kiyobashi_312-15.jpg
幾世橋では、建屋爆発で放出された放射能が飛来した後、一旦線量率が元のレベルまで低下している。従って、爆発時の放射能には残留放射能となる粒子状のものはほとんど含まれていなかったと考えられる。ところが、その後の線量上昇後にはレベルが上がっており、残留成分が増えたことが分かる。

(風向きとの関係)
間歇的に放射能が放出されたようにも見えるが、その多くは風向きの変化による見掛けのものである。次のグラフは、郡山の空間線量率と、風向、風速の時間変化を一つの図上で見られるようにしたものである。
線量率はnGy/hでの測定値の対数、風向は北から時計回りの角度を90で割った値、風速はメートル毎秒そのままの値である。
902_kooriyama_312_14-24.jpg
(爆発の影響)
14時ごろに開始されたベントにより圧力抑制室の圧力が低下したが、15:10ごろに低下が止まり、排気筒からのベント排気も止まったと考えられる。これは「放射性スケール」がベントラインを閉塞したことによると考えられるが、フィルター・トレイン側もスケールによる目詰まり、あるいはSGTS配管のどこかでの閉塞により、建屋内への排気の流入も止まったと思われる。
建屋爆発のあった15:36には、郡山がちょうど風下にあたっており、爆発に伴って放出された放射能が郡山に飛来した。この時の放射能は、幾世橋の線量率変化が示すように、気体状のものであり、残留放射能となる粒子状のものはほとんど含まれていなかったと考えられる。
(爆発から17:40まで)
建屋爆発以降も放射能の放出が続いた。
爆発から約2時間は線量率の増減が激しく、放射能の主体がキセノンであることを現している。またヨウ素(131, 132, 133)もある程度含まれていたことがスペクトル・データから読み取れる。
15:10までに閉塞したと考えられる経路が、爆発後に再び通るようになったと考えられる。爆発の衝撃でフィルターの目詰まりが(一部)解消された、あるいは一部破壊されたのではないかと思われる。
(3月12日17:40以降)
3月12日18時ごろまでは南東~南南東の風が吹いていたが、その後、風速が弱まるとともに風向が一定しなくなる。
17:40ごろから線量率変化のパターンが変わり、残留放射能がそれまでよりも増えている。ダストのバックグラウンドも上がっている。17:40にはまだ風向きは一定しており、郡山が1号機の風下にあたる状態が続いていた。従ってこの線量上昇は、風向の変化による見掛けのものではなく、実際にこの時、粒子状放射能の成分が増加したと考えられる。
スペクトル・データではヨウ素(131, 132, 133)が認められ、テルルなどは確認されない。爆発以降に放出された放射能は、ベントラインから非常用ガス処理系(SGTS)~換気系ダクトを逆流して建屋内に流入したものが、破壊された建屋から外気に出たものである。
この経路を通った場合、SGTSのフィルター・トレインを通過する。フィルターが健全なら、キセノンとクリプトン以外はフィルターに捕らえられるはずである。テルルは確認されないので、粒子状放射能はHEPAフィルターで捕らえられて外気には出なかったと考えられる。ヨウ素が出ているということは、気体状のヨウ素を吸着するチャコール・フィルターの能力が低下してきて、ヨウ素の放出量が増えたと思われる。
18時以降の線量率の増減は、風向の変化に伴うものである。上のグラフには、そのような風による変化を示す小さな矢印を付した。1号機建屋からの放射能の放出そのものは、継続して起こっていたと考えられる。
(3月13~14日)
次の2つの図は、上のグラフと同様の複合グラフで、それぞれ3月13日と14日の郡山局の状況を示したものである。
線量率の増減は、やはり風向変化に伴うものである。ただし、直接原発方向から飛来したものだけではなく、別方向からの風に伴うピークが13日午前に見られる(矢印に色を付けて表示)。これは前日のベントで形成された汚染地帯で二次的に発生したキセノンが移動してきたものと思われる。すなわち、地表に残留したI-133が壊変して生じたXe-133が風に流されたものと考えられる。
903_kooriyama_313.jpg
904_kooriyama_314.jpg
1号機から郡山局に飛来した放射能による線量率上昇は14日午前中まで認められるが、10時前に風向が西に変わって飛来が途絶える。その後、14日夜からは3号機の影響が大きくなり、1号機の放射能を識別することができなくなる。郡山局のデータは15日5:14で途絶えた。計測が復旧するのは8月になってからである。破壊された1号機原子炉建屋からの外気への放射能放出は、長期間継続したと思われるが、データで検証することはできない。
なお、3号機に関しては次回以降に詳述していく予定である。

(テルル132確認の重要性)
テルル132については既に詳細記載(3)でふれたが、あらためてその有無を確認することの重要性について説明したい。
福島第一原発事故によって大気に放出された主な放射能は、次の3種類に分類できる。
(a) 希ガス(不活性な気体。地表に付着せず風とともに去る。キセノンとクリプトン)
(b) ヨウ素(粒子状とガス状の2相。一部は地表に残留する。)
(c) 粒子状放射能(ヨウ素以外の残留性放射能。テルルとセシウム)
なお、空気が乾燥している場合は、粒子状放射能が地表に定着せず、残留しない場合がある。
粒子状放射能のうち、セシウムのスペクトルは、分解能の低いNaI(Tl)の測定器ではヨウ素132や131と被ってしまい、識別できない。関係する主なスペクトルは次のとおりである。(カッコ内は放出比)
Cs-134 : 563keV(8%), 569keV(15%), 605keV(98%), 796keV(85%), 802keV(9%)
Cs-137 : 662keV(85%)
I-131 : 284keV(6%), 364keV(82%), 637keV(7%)
I-132 : 523keV (16%), 630keV (13%), 668keV (99%), 773keV(76%), 955keV(18%)
I-133 : 530keV(87%)
モニタリング・ポストのスペクトルロメーターでセシウムのピークが認識できるようになるのは、3月28日までのデータが公表されている福島市紅葉山では3月下旬からである。半減期の比較的短いヨウ素やテルルの核種が減衰した後で、やっとセシウムのピークが認識できるようになるのである。
このように、長時間にわたって放射能が飛来した原発周辺では、放射能の飛来は線量計で検知ができても、それに含まれるセシウムが何時飛んできて残留放射能となったのかはスペクトル・データで確認することはできない。
一方、テルル132のスペクトルは228keV(88%)で、キセノン135の250keV(90%)と重なるが、キセノンが去れば認識可能である。全体の線量が高い時には228keVのピークは埋没してしまうが、ある程度線量が下がれば認識できる可能性がある。
同じ粒子状の放射能であるテルルが出ていれば、セシウムも存在すると考えられる。従って。テルル132のピークを詳しく検討することが重要なのである。

(郡山局データのテルル132の検討)
郡山局に1号機ベント排気の影響が認められないことは、以前検討したとおりである。ベント排気には大量のテルルとセシウムから成る粒子状放射能が含まれていたが、郡山局には飛来しなかったと考えられる。
建屋爆発以降に1号機から放出された放射能にテルル132が含まれているかどうかは重要なポイントなので、詳細な確認作業を行なった。線量率の高い状態では弱いスペクトルのピークを認識しづらいため、なるべく線量率が低下し、3号機の影響を受ける前で、かつ半減期の比較的長い放射能が集積したと考えられる3月14日18時台のスペクトルを次に示す。
905_sp_314-18h_kooriyama_Te.jpg
仔細に見ると、テルル132と思われる小さな高まりがあるが不明瞭である。郡山局に飛来したテルルは少なかったと言える。格納容器から直接外に出たものではなく、これまで考察したように、ベントラインから非常用ガス処理系のフィルター・トレインでフィルタリングされ(完全ではないとしても)、換気系ダクトを逆流して、壊れた建屋から外に出たものであると考えられる。

(1号機格納容器の圧力)
1号機が建屋爆発の後も、放射能を放出し続けたことは明らかである。では、爆発後も格納容器の圧力が低下し続けたかというと、そうでもない。
次の図は1号機圧力容器(ドライウェルと圧力抑制室)の圧力公表値をグラフ化したものである。爆発により測定が1日近く中断され、測定が再開された時には爆発時より圧力が上がっていた。
906_u1_pcv-P_312-14.jpg
原子炉への淡水注水は、爆発の43分前の12日14:53に終わっており、その後海水注入が開始されたのは同日19:04である。その間に圧力が上昇したと思われる。放射能を含む蒸気の放出は続いていたはずなのだが、それを上回る勢いで圧力が増加したと考えられる。
測定再開後は、少し圧力が上昇した後、減少に転じている。ようやく海水注入の効果が現れて、減圧したものと思われる。
(ベントラインの弁について)
1号機でベントの弁を開く操作は、建屋爆発の時に中断され、その後も再開されることは無かった。ところが、爆発以後少なくとも2日間は、1号機からの放出が続いていたのである。おそらく「放射性スケール」が弁に挟まって、完全には閉まらなくなったのではないかと思われる。

今回の終わりに、これまでの考察を踏まえて、1号機リークの概要を整理しておきたい。

(1号機リークの変遷、フェーズ1)
前回の考察のように、最初に1号機から外気へ放射能がリークしたのは、3月12日0時ごろと思われる。圧力容器の逃がし安全弁が壊れて、高圧の蒸気が格納容器側に流れ込んで圧力が急上昇したため、ベントラインの耐圧性能を上回り、ベントラインを通って排気筒から外気へ放射能がリークした。
この時に外気に放出された放射能はキセノン(Xe-133, Xe-135, Xe-135m(?))とクリプトン(Kr-88)であり、再臨界が推定される。この放射能は海側に流され、12日5時ごろに南東風で陸側に戻ってきたと考えられる。
なお、一部の蒸気は、ベントラインから非常用ガス処理系(SGTS)のフィルター・トレイン側へ分岐し、さらに換気系ダクトを逆流して、原子炉建屋の室内に流れ込んだと考えられる。そのため、原子炉建屋内の線量が上昇した。これが原子炉から建屋室内へ直接リークしたものと誤認されたと思われる。
なお、原子炉建屋二重扉前の線量が11日22時ごろに上昇したという記載が政府事故調報告にあるので(中間報告P.142)、このような換気系からの逆流が起こったのはかなり早い時期だったのかもしれない。ただ、11日21:50ごろまでに、原子炉圧力容器の減圧操作を行なわないまま、圧力の低いディーゼル駆動消火ポンプ(D/DFP)で注水しようとしたことが政府事故調に記載されており、D/DFP系でリークが生じた可能性も考えられる。何れにしても、この時間帯に何が起こっていたのかはよく分からない。

(1号機リークの変遷、フェーズ2)
12日4:00ごろに消防車による原子炉への注水が始まった。消防車の吐出圧力は1MPaであり、ベントラインの弁の耐圧性能を超えていたと思われる。この時、キセノンとクリプトンを含む蒸気が排気筒から外気に放出され、原発正門や郡山局などの線量が上昇した。この放射能の中には再臨界を示唆するXe-135mやKr-88が含まれていた。
その後、8時ごろには一時的にヨウ素が放出され、13時ごろからはヨウ素に加えてテルルが検出されるようになる。これは、圧力抑制プールの状況悪化を反映している。

(1号機リークの変遷、フェーズ3)
12日14:00ごろにベント操作が実施され、大量の放射能が排出された。14:53に消防車による淡水注入が停止すると炉内の状況がさらに悪化して、放出される粒子状放射能が増加し、「白い綿」となって双葉町中心部に降りかかった。
排気筒から放出される経路とは別に、非常用ガス処理系(SGTS)から換気系ダクトを逆流して原子炉建屋内に流入する経路と、2号機側のSGTSから2号機原子炉建屋に流れる2つの経路がある。
ベント排気には水素が含まれており、この経路で建屋内に流入し、軽い水素は建屋最上部に集まった。電源車から1・2号機の両建屋に通電された瞬間に爆発した。規模は小さいと思われるが、2号機最上階でも同時に爆発し、ブローアウト・パネルが外れて落ちた。
2号機の最上階(オペフロ)では、天井クレーンガーダのライトが無くなって穴が開いていたり、塗装が酷く剥げ落ちたりしており、爆発によると思われる破片が床に散乱している。また、原子炉の真上のシールド・プラグ中央で線量が高いが、その周囲にダクトが設けられており、通気系を逆流した1号機由来の放射能によって汚染された結果であると思われる。
2号機オペフロについては、別に特集する予定である。
このフェーズまでのリーク経路は同じであり、概念図は次のようになる。この図は途中にある弁などは省略してある。
907_vent-line_phase1.jpg

(1号機リークの変遷、フェーズ4)
12日15:10にベントによる圧力低下が止まった。「放射性スケール」によってパイプなどが閉塞したためである。その後、15:36の建屋爆発までの間は放射能の放出が止まっていたと考えられる。この時の概念図を次に示す。
908_vent-line_phase2.jpg

(1号機リークの変遷、フェーズ5)
建屋爆発により建屋に充満していた放射能が放出された。爆発の衝撃によってフィルターの目詰まりで閉塞していた部分の通気性が回復してしまい、再びベントラインから建屋内への逆流が起こり、破壊された建屋上部から外気へ放射能が放出される結果となった。フィルター・トレインを通過したものが外気へ出たので、粒子状放射能はかなり低減された。
909_vent-line_phase3.jpg
1号機からの放射能は3月14日午前までモニタリング・ポストのデータで確認できるが、その後も放出は止まらなかったと思われる。圧力抑制室の圧力低下に伴って放出量は減少していったものの、格納容器のガス管理システムが機能するまで放射能の放出は長期間継続したと考えられる。

以上
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