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概要

初稿:2016/3/10
追記:2016/6/26
追記:2016/7/1
追記:2016/10/24
追記の追記:2016/10/28
追記:2017/3/11


はじめに

福島第一・第二原発の周辺に設置されている福島県のモニタリング・ポスト(固定局)は、地震の影響でデータ送信が途絶えたが、非常用電源が一定期間作動して、データをメモリーや紙チャートに記録していた。これらは福島県により回収され、2012年9月から2014年2月にかけて、順次公表された。公表データにはガンマ線スペクトルの生データが含まれる。
これらを解析するとともに、東電その他諸機関が公表した資料、測定データ、気象データや映像資料を併せて検討し、放射能の外気への放出過程・経路・核種などについて、できるだけ丹念に考察した。その結果、定説化している従来の事故分析は、多くの重要な点において見当違いであることが明らかとなった。
風向・風速のデータについては、東電が測定した第一原発敷地内のデータは不完全であり、他の気象データも参考にした。特に、第二原発のものは排気筒の高さでの観測であり、貴重なデータである。
第一原発の敷地の線量が上昇したからといって、その時に放出されたとは限らない。ブーメランのように吹き戻ってくる場合があるからだ。洋上、沿岸部、山地で風の吹き方は異なる。また、湿度や降雨によって放射能の地表への定着しやすさが異なるし、化学種によっても違いがある。そのようなことも考えた上で、できる限り丁寧にデータを読み取ることに努めた。
なお、福島県から公表されたスペクトルの生データは、1時間計測のものと10分間計測の2種類があるが、どちらもチャネル設定が記載されていない。同じ局の同じ時間帯のデータを比較すると、両者は少しズレたパターンを示す。設定の明らかな茨城県のデータを参考にすると、福島県の1時間データは、茨城県と同じチャネルあたり5keV幅の標準的な仕様であることが分かる。1時間データとの対比により、10分データのほうは、チャネル間隔が少し短いとともに、低エネルギー部分が欠落している変則的な設定になっていることが推定される。これを知らず、10分データを用いて誤った核種を同定する事例があった。例えば、250keVのXe-135を228keVのTe-132と誤認するなどである。細かいことだが重要なので付記しておく。
00_calib_1h-10min_a.jpg


概要

(1号機の再臨界)
3月12日早朝のスペクトル・データからキセノン135m(Xe-135m;半減期15.29分)が特定された。Xe-135mは短寿命ではあるが、ヨウ素135(I-135;半減期6.57時間)の娘元素なので、原子炉停止後も炉内で発生する。従って、その存在だけで再臨界が示唆されるものではないが、Xe-135(Xe-135;半減期9.14時間)に対する比が計算値の3倍以上大きいことから、1号機が再臨界していたことが分かった。
また、クリプトン88(Kr-88;半減期2.84時間)も同定された。原子炉停止から12時間以上経っても半減期の短い放射能が存在したことが再臨界の証拠である。
3月11日から12日にかけての深夜に原子炉圧力が減少した。減圧の操作は行なわれていないので、おそらく逃がし安全弁が壊れたと思われる。逃がし弁は何度も開閉を繰り返していたはずであり、ついに閉じなくなってしまったと思われる。
急減圧によって制御棒が一旦持ち上がり、コレット・フィンガーと呼ばれる爪が外れて抜け落ちるという、北陸電力志賀原発で定期点検中に起こった即発臨界事故と同様のことが起こったと考えられる。再臨界の規模や継続時間はよく分からないが、11日深夜から12日午前中にかけて続いたと見られる。
[追記]半減期9.14時間のXe-135のスペクトルが、翌3月13日にも明瞭に認められることから、再臨界の継続時間は上記の推定よりも長かった可能性がある。これに関し、Xe-135とXe-133のピーク比について現在検討中である。[追記終わり 2016/6/26]
[追記]Xe-135とXe-133のピーク比を検討した結果、1号機の再臨界は3月13日の早朝まで継続したと推定された。[追記終わり 2016/7/1]
01_spec_kooriyama_312-04.jpg
01a_Xe-peak-ratio_kooriyama_j2.jpg

(1号機ベント以前の放出)
3月12日午前4時ごろから外気への漏出が始まった。1号機の原子炉建屋は津波の侵入が無く、建屋の密閉性は保たれていたと思われる。従って、考えられる漏出経路は、原子炉→建屋内部→ダクト→非常用ガス処理系→排気筒か、ベントライン→排気筒であり、何れにしても高さ120mの排気筒から放出されたと思われる。このことは、まだ電源が生きていた隣の3・4号機排気筒のモニターが6時前後に上昇したこととも符号する。
この時、非常用ガス処理系の換気扇は電源喪失により止まっていたので建屋内部から排気筒への強制的な流れは無かったが、仮に建屋内部から排気筒へ放射能が流れたとすると、キセノンなどの放射性希ガス以外は非常用ガス処理系のフィルターで止められるはずである。スペクトロメーターで検出された放射能は、4時から8時頃まではキセノンが主体で、ごく僅かにヨウ素が認められるだけだが、8時ごろからヨウ素(I-131, I-132, I-133)のスペクトルが明瞭になり、13時に飛来したものの残留放射能からはテルル132(Te-132)が認められた。これらは非常用ガス処理系のフィルター・トレインで止められるものなので、そこを迂回するベント・ラインを通って排気筒から放出されたと考えるのが合理的である。
02_spec_yamada_312-13-17up_c.jpg

しかし、まだ弁の開操作を実行していないのに、ベント・ラインを通って放出されたはずがないと思われるであろうが、その先入観を消してベント・ラインの耐圧性を冷静に検討する必要がある。ベント・ラインには幾つかの弁とラプチャー・ディスク(規定の圧力になると管を塞ぐ金属板が割れて蒸気を通す)がある。使われている弁の耐圧性についての情報が無いので、あくまでも推測ではあるが、11日深夜からの高圧に耐えられず、リークが起こったと思われる。また、12日4時頃から始まった消防車による注水の吐出圧力は1MPa(10気圧)であり、ラプチャー・ディスク作動圧を優に上回る。注水の直後に線量が上昇したのは、注水の圧力で押し出されたと考えるのが自然である。
[追記]ガンマ線スペクトル・データのXe-135とXe-133のピーク比を検討したところ、3月12日5~6時台にピーク比が他と比べて明らかに低いデータ群が確認された。この特徴的な放射能は、第一原発の南南西に位置する夫沢局から、北西方向に移動したことが推定された。その移動経路や風のデータから、この放射能は同時刻に第一原発から直接飛来したものではなく、数時間前に海側(東側)へ放出されたものが、ブーメランのように陸側に戻ってきたものであると考えられる。その間に比較的半減期の短いXe-135(9.14時間)が減少したため、ピーク比が小さくなったものと思われる。
従って、最初に放射能が外気にリークしたのは12日4時ごろではなく、それより数時間前には始まっていたと推定される。おそらく、12日0時ごろ、逃がし安全弁が壊れて原子炉圧力容器から圧力抑制室へ高圧の蒸気が流入した時、高圧に耐えられずベントラインからのリークが始まったと思われる。[追記終わり 2016/7/1]

(1号機ベント)
12日14時ごろから1号機のベントが始まった。NHKのヘリからの撮影で、排気筒から白い蒸気が北西方向に横に勢いよく流れる様子が捉えられている。その風下5.6kmに位置する上羽鳥のモニタリング・ポストでは、14時40分に4613μSv/hの空間線量率が記録された。これは事故全体を通して原発敷地外で測定された最大の値である。このベントにより大量の放射能が放出された。
1号機のベント配管やそれに接続する系統は最も著しく汚染されているが、それはこの時のベントに因るものである。圧力抑制プールに水があればガス状の放射能以外はプール内に残るので、そのような酷い汚染が配管に生じるはずがない。ベント時には、プール内の水が無いか非常に少ない状態だったと思われる。崩壊熱に再臨界で発生した熱が加わることでプールの水が蒸発したと考えられる。

(1号機ベント排気の流れ)
排気筒から北西方向に勢いよく流れ出たベント排気は、阿武隈山地西縁に沿って北に流れ、仙台湾を縦断して女川原発に到達している。また、一部は仙台に向かったものと、北上川沿いを北上して岩手県滝沢市に至った流れも推定される。
各地で測定された線量率の変化パターンを比較すると、仙台では気体状(通過性)が主体、滝沢では気体状と粒子状が混在しており、女川では粒子状(定着性)のみのパターンを示している。気体状のものと粒子状の放射能では移動速度が違うので、途中で分離したと考えられる。

(放射性スケール)
最も高い線量率を記録したにもかかわらず、このベントによって放出された放射能に含まれるセシウムはごくわずかである。セシウムと同様に粒子状の放射能となるテルルは存在するので、なぜセシウムが少ないか謎だった。
だが、よく考えると、汚染されたベントラインに付着しているのはセシウムであり、排気筒の外に出たものは少なかったと思われる。特に、非常用ガス処理系配管が排気筒に接続する部分付近で超高線量が認められているが、これは、管の口径が変化して急減圧となる部分であり、温泉の湯垢のようにセシウムが管に詰まっていると考えられる。
温泉や地熱発電のボーリング管の内部に付着して温泉や蒸気が止まってしまうことがあるようだが、そのような湯垢はスケールと呼ばれる。1号機の場合、放射性スケールないしセシウム・スケールと呼ぶのが適当だと思われる。圧力抑制室の圧力データによると、建屋の爆発より前の15時10分頃に圧力の低下が止まっている。この時に弁を閉じてベントを終了したという記録は無い。スケールにより管が閉塞したと考えられる。
03_sc_P_graph_c.jpg
[追記]ベントライン閉塞の直前、放射性スケールの断片が排気筒から吹き出て、双葉町中心部に「白い綿」のように降ったと考えられる。詳しくは、詳細記載(7)をご覧ください。[追記終わり 2016/6/26]

(1号機建屋の爆発)
ベント・ラインは、チェルノブイリ事故の後、過酷事故対策として、元々あった非常用ガス処理系配管に接続する形で設置されたものである。圧力抑制室から非常用ガス処理系の出口部分までに新たな配管を設置した。
オリジナルの設計はボストン・エジソン社であるが、東電のものはオリジナルと異なる点がある。それは、アメリカの設計は交流電源が全滅した場合を想定し、必要な弁の開閉は直流電源で作動するように変更しているのに対し、東電のものは交流電源作動のままにしている点である。おそらく東電は非常用の交流電源を増設することで充分だと考えたのだろう。
非常用ガス処理系配管の出口側にベント配管が接続された所より内側の部分には弁があり、電源喪失時には開いた状態になる。ベント実施時には、この弁を閉じないと逆流してしまう。全交流電源が喪失したため、東電はこの弁を閉じることができないまま、ベントを実施したのである。なお、グラビティーダンパーという逆流防止のための板があるが、これは元々ベント配管付設以前からあった一般の空調設備であり、高圧に耐えうるものではないと思われる。
非常用ガス処理系配管が1号機のものと繋がっている2号機側に、1号機のベント流が逆流したことが、東電により確認されている。ここにもグラビティーダンパーがあるが、それより内側のフィルターが強く汚染されているので、グラビティーダンパーがベント流を止められなかったのは明らかである。従って、当然1号機側でも非常用ガス処理系に逆流したと考えられる。なお、1号機のフィルタートレイン設置場所は、高線量のため未だに調査されていない。
1号機建屋爆発の原因は、水素を含むベント流が非常用ガス処理系を逆流し、ダクトを通って建屋内に流入したためである。フィルタートレインがどの程度耐圧性があるか分からないが、ガス以外の成分のかなりの部分はフィルターで止められ、建屋内の汚染度はベントラインに比較して低いものとなっている。また、爆発時およびそれ以後に建屋から放出された放射能は、ベントに比べるとずっと少ない。
なお、前述のように、ベント実施以前に、すでにベントラインを通る外気へのリークが発生していたと考えられるが、同時に建屋内への逆流も起こっていたと思われる。12日4時ごろ、原子炉建屋二重扉の内側に白いもやが見えたとのことであるが、これは逆流した蒸気がダクトの空気取り入れ口から建屋内に流れ込んだものだと思われる。
04_u2-ventline-SGTS.jpg

(ベント配管の設計に関して)
上記のようにベント配管というものは発電所建設当時には無く、後に付加的に設置されたものである。既存の配管に接続するのは、設備を有効に利用するという言い方もできるが、まあ、独立した排気配管を作るのをケチったのである。この「ケチり」によって逆流というリスクが生まれたわけであるが、それを認識していた人はどれほどいたのだろうか。

(2号機からの大量放出はなかった)
時間は前後するが、先に3月15日の大量放出に関して触れておきたい。3月15日の大量放出は2号機から放出されたというのが定説だが、それは間違いである。
上記のように、1号機のベント流が2号機の非常用ガス処理系に逆流したことが明らかになっているが、さらにダクトを逆流して建屋内に流入したはずである。かなりの放射能はフィルターで止められたが完全ではないので、ある程度の汚染を建屋内に残していると考えられる。オペレーティングフロアの換気ダクトは原子炉直上の円形のシールドプラグを取り囲む形で、天井ではなく床面に設置されている。オペレーティングフロアで最も汚染されているのはシールドプラグの中央部であるが、その汚染源は1号機であり、2号機のものではないと考えられる。
2号機では、ベントは成功せず、建屋爆発も無かったので、大量の放射能が放出される可能性のあるのは、1号機爆発の影響で開いたブローアウトパネルの部分だけである。狭い範囲から大量の放射能が放出されたとすると、開口部周辺を含むオペレーティングフロアは、もっと酷く汚染されているはずである。
3月15日午前のライブカメラ画像を根拠に、東電は、同日の大量放出が2号機から発生したと主張している。このライブカメラは、敷地の南側の丘に置かれている。南北に並んでいる原子炉建屋が重なって見えるので、監視場所としては変な位置に設置されていて、どの建屋から出たものか分かりにくいが、仔細に画像を検討すると3号機から放出されたものと考えられる。
なお、2号機のブローアウトパネル開口部から白い蒸気が立ち昇るのが認められるが、これは格納容器から直接放出されたものではなく、地階に流出した汚染水の湯気がダクトを通って上昇し、最上階のダクトの換気口から放出されたものである。
また、2号機と3号機で、ストロンチウム同位体比(Sr-89/Sr-90)が異なるので、識別が可能である。第一原発敷地の汚染土壌の分析データからは3号機起源が推定される。

(2号機のベントはなぜ失敗したか)
弁の開操作に伴う圧力低下が認められないので、2号機のベントは失敗であったとされる。格納容器の圧力はラプチャーディスクの作動圧を上回っていたのに、なぜかディスクが破れなかった。注水量が多すぎて圧力抑制プールが水没し、ベント管の中にまで水が入ったため、水柱の高さ分の圧力が格納容器側より低くなり、ラプチャーディスク作動圧まで上がらなかったと想像される。

(3号機のベントは成功だった)
1号機のベントは、減圧したということでは成功だが、圧力抑制プールの水で放射能を洗い取るというスクラビング効果が発揮されなかった点で失敗であった。これに比べると、3月13日から数回行なわれた3号機のベントは成功であったといえる。この時期、1号機建屋からの放出が続いており、区別が難しいが、風向きを丹念に読むことで3号機ベントによる線量率変化を特定できる。3号機のベントの影響と考えられる線量のピーク・パターンは、残留性の放射能が少ないことを示す。ガンマ線スペクトルを仔細に検討しても、1号機に見られたような再臨界の痕跡は認められない。
[追記]スペクトルを再検討した結果、3月13日14時ごろの3号機ベント排気に短寿命のXe-135mが含まれていることが分かった。これは向畑局のデータで特に明瞭に確認できる。従って、上記の記述は誤りであり、3号機でも再臨界が起こったと考えられる。再臨界の原因は、1号機と同様、原子炉圧力容器の急減圧に伴う制御棒の脱落であると思われる。なお、再臨界は起こったが、ベントとしてはキセノン以外放出していないので成功であった、という見解には変わりはない。[追記終わり 2016/6/26]
また、1号機のベント流が逆流した2号機のフィルターと、3号機のベント流が逆流した4号機のフィルターの線量率を比較すると、4号機の方が桁違いに低い。2号機フィルターは最高1Sv(1000mSv)なのに対して4号機は最高で6.7mSvである。
これらのことは、1号機のベント時に比べ3号機の状態がマシだったことを物語る。ところが、これとは反対に、建屋爆発の規模は3号機の方が桁違いに大きい。それを誰も説明できないままでいる。

(3号機建屋内への逆流)
3号機のベント流が4号機に逆流し、4号機建屋爆発の原因となったことは、東電が認めている。ならば、3号機建屋側にも逆流したと思うのだが、東電はこれを認めていない。それは、逆流防止のグラビティーダンパーが4号機には無いが3号機にはあることと、フィルタートレインA系の線量率が逆流のパターンを示していないことが理由である。
しかし、上記のように2号機のグラビティーダンパーが逆流を止められなかったことは明らかなので、当然3号機でも逆流が生じたと考えられる。フィルタートレインの線量率パターンについてはよく分からないが、通過速度が速いと明瞭なパターンにならないと思われるので、逆流しなかったという証拠にはならない。
[追記]上記のように、3号機においても1号機同様、ベントによる換気系への逆流に伴って、可燃性ガスが建屋内に流入したと考えていた。しかし、そうではなく、2回のベントの後に、格納容器から可燃性ガスを含む蒸気が漏洩した、と考えを修正するようになった。その理由は、ざっと次のようなものである。
13日22時ごろから14日2時ごろにかけて起こったドライウェル(D/W)と圧力抑制室(S/C)の圧力逆転について検討を進めた結果、ドライウェルから漏洩したことが推定された(詳細記載(11)の追記)。また、4階から格納容器の黄色い蓋が見えている問題を掘り下げた結果、爆発は、最上階のオペフロだけでなく、格納容器の蓋とシールドプラグの間の空間でも、同時に起こったことが推定された(詳細記載(12)参照)。これらの考察から、可燃性ガスは格納容器の蓋から漏れ出したものであり、ベント排気の逆流に伴うものではない、と考えるようになった。
ただし、ベントによって逆流が起こらなかったわけではなく、ベント排気には可燃性ガスが含まれていなかったと考えている。つまり、可燃性ガスは2回のベントより後で炉内で発生したと思われる。[追記終わり 2017/3/11]

(3号機建屋の爆発)
3月14日の3号機建屋の爆発は、水素爆発ということになっているが、何らかの有機物であると考えている。その理由は、水素にしては爆発の威力が大きすぎること、オレンジ色の閃光が見えたこと、中層階まで爆発していること、建屋を爆破するような量が4号機まで流れ込んでいること、数日後に黒煙が立ち昇ったこと、および汚染地帯で「黒い物質」が認められていることである。
3号機の爆発は1号機の爆発と比べると別種のものに見える。軽い水素であれば最上階天井部分に集まるはずで、中層部で強い爆発が起こることは考えにくい。同じ理由で水素であれば大部分は排気筒を上昇し、4号機側に大量に移動することはないと思われる。このような考えから、爆発したのは空気に近い重さの有機ガス、おそらくメタンだろうと思うが証拠は無い。
注入した海水に何らかの有機物が混入していた疑いがある。可能性としては、流出した重油タンクの重油(衛星写真には油膜による干渉色が写っている)、海水を取水した逆洗弁ピットに津波によって流れ込んだ車両の燃料、パイプラインの重油や軽油、海水や泥に含まれる有機物、があげられる。これらが炉に注入されると熱でメタンに分解されると思われる。
逆洗弁ピットは放水路と繋がっているため、津波が引く際、風呂の栓を抜いたのと同じようにして、周囲に浮かんでいた車両などを吸い込んだと考えられる。4号機のピットは、ちょうど点検中で付近に工事車両が駐車していたため、ピットに入り込んだ車が目立つ。ピットの存在を知らない人が横から見ると、津波にはね上げられて、地面に突き刺さったように誤解するであろう。3号機のピット内には少なくとも1台の車両が入っており、1台はピットの縁に乗り上げているのが、空中写真で捉えられている。現場では夜間にも取水作業が行なわれており、油分が混入していても分からないと思われる。
なお、3号機の逆洗弁ピットにだけ海水が溜まっていた。排水設備があるはずで、通常は水が溜まらないようになっている筈である。何かが詰まっていたのだろうが、詳細は不明である。
とにかく、爆発した物質については未だに謎として残されている。
爆発した物質の起源については、可能性は低いとは思われるが、MOX燃料などに含まれる不純物についても検討されるべきである。3号機は第一原発では唯一、燃料の一部ではあるがMOXが装荷されていた。その3号機が不可解な建屋爆発を起こしたのであるから、MOX燃料に関する充分な検討を事故調査委員会と規制当局が行わない間は、他の原発のMOX燃料使用についても、疑念と不安を含んだままの操業開始となるだろう。
[追記]爆発することになるガスが隣の4号機に流入したタイミングについて考察した結果、排気の勢いが強い1回目と2回目のベント実施時と推定した。この時期には防火水槽の淡水が注入されており、海水注入はその後であった。注入した海水に混入していた油分が爆発の原因であるという説を修正し、地震・津波により防火水槽に石油類が混入していたという疑いを持つに至った。詳しくは、詳細記載(11)をご覧ください。[追記終わり 2016/10/24]
[追記の追記]4号機へのガスの移動についてさらに考察した結果、3号機建屋爆発時に排気配管を通って燃え残りの可燃性ガスが4号機建屋へ流入した可能性があることに気付いた。3・4号機の建屋を爆発したガスについては、見解が二転三転してしまったが、今は注入された海水に石油類が混入していた可能性を再び重要視している。詳しくは、詳細記載(11)の[追記]をご覧ください。[追記の追記終わり 2016/10/28]

(爆発の印象から放射能の放出量が過大に見積もられている)
映像による印象から、あたかも爆発と同時に大量の放射能が撒き散らされたと感じるのが自然であるが、上記のように、爆発したガスは非常用ガス処理系のフィルタートレインを逆流して建屋内に流入しているため、放射能はフィルターのおかげでかなり低減されている。同じことは、1号機爆発の場合、風下側にモニタリング・ポストがあり、データが残っているので明らかである。桁違いに大量の放射能が放出されたのは、1号機では爆発前に実施されたベントである。
一方、3号機については、爆発当時は西風であり、海側に流されたため観測データが無いが、逆流説が正しい限り、爆発時に放出された放射能は、その後の大量放出に比べればずっと少なかったと考えられる。
[追記]可燃性ガスがベント排気の逆流に含まれていたという考えは、今は捨てている。ただし、爆風による線量上昇が3号機の南南西1.4kmに位置する夫沢局で記録されているが、軽微なものであった(詳細記載(13)参照)。爆発時に放出された放射能よりも、その後に放出されたものの方が比較にならないほど多かったことに違いはないと考えられる。[追記終わり 2017/3/11]

(3号機建屋爆発により格納容器上部からの漏出が始まった)
3号機建屋爆発直後から格納容器の圧力が低下しだした。爆発により格納容器の密閉性が損なわれたと考えられる。爆発直後の衛星画像には、爆発による噴煙とは別に、破壊された建屋から2条の白い蒸気が立ち昇っているのが見える。その後の映像でも、風の弱い時には、2筋の蒸気が認められる。その噴出し口の位置を仔細に検討した結果、一つは格納容器直上のシールドプラグと使用済み燃料プールの間のゲート付近、もう一つはシールドプラグとDSプールの間にあるDSPプラグの西端部である。
コンクリート製のシールドプラグは爆発の影響で変形している。爆発の影響に関して、特に注目されるのは、使用済み燃料プールと南側の壁の間にあるCUW F/Dハッチと呼ばれるコンクリート製のブロックが、プールの中に落ちていることである。このハッチは床に開いた正方形の穴にはめ込まれているもので、重さ2.6トンもある。これが抜けてプールに落ちたということは、浮き上がって建屋中心側へ向かって跳んだことになる。これは、爆発によって急激な膨張が起こり、爆心部分が真空に近い状態となったためと考えられる。この瞬間的な減圧で、格納容器内部と外との圧力差が瞬間的に上昇し、漏洩が始まったと推定する。

(爆発以降の3号機からの放出)
建屋爆発以降、強弱はあるものの、3号機格納容器からの放射能放出はずっと続いたと考えられる。特に重要なのは、3月14日深夜からの北風に乗って関東地方へ流れたもの、3月15日の日中に阿武隈山地を越えて汚染地帯を形成した時期、3月16日午前の北ないし北西風に乗って太平洋上に流れ、移動性高気圧の縁を時計回りに回って3月21日頃に降雨に伴って関東地方を汚染させた放出である。
3月14日深夜から観測された線量率の上昇は、一旦西風に乗って洋上に流れた放射能が沿岸部に吹き戻って来、吹きだした北風に乗って南下したもので、3波に分かれて移動するパターンを翌15日早朝の茨城県沿岸部まで追うことができる。第1波は弱く、第2波、第3波は強い。各波は茨城県沿岸部から異なる進路を取るようになる、第1波は東京湾を抜け、伊豆半島を迂回して静岡に至る経路をとる。第2波は日立から西に進路をとり、茨城県西部で3つに分岐する。第3波は房総半島の南方洋上で進路を北に取り、東京湾を抜けて群馬県に至る経路をとる。これらの襲来による残留放射能は、3月22日から23日にかけての襲来に比べると少ない。
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3月15日は、朝から夕方にかけて、北風から東風、南風と時計回りに変化する。東寄りの風に乗り、順次、南西、東、北西の3ルートで阿武隈山地を越えた。このうち北西ルートの残留放射能が最も深刻な汚染地帯を形成した。これは、放出された放射能の量の違いではなく、雨や雪によって粒子状放射能が地上に定着したためである。また、この降水は時間降水量で数ミリの弱いものであったため、遠方まで運ばれてしまった。もっと強い雨であれば、原発付近で洗い落とされて、遠方まで届くことは無かった。
06_map-abukuma_time.jpg

15日の夜は、昼間とは逆に、逆時計回りに風向きが変化した。この時に山間部に流れたものは、昼間の襲来に比べると少なかった。深夜から早朝にかけては、北風に乗り、沿岸部を南下した。16日の朝から日中にかけても南方への流れが認められた。16日深夜からの北風に乗った放射能は、移動性高気圧の縁を時計回りに回って、続いて西から進んできた低気圧に流れ込み、関東地方を中心に、降雨によって放射能が降下・残留した。

(海水注入による影響)
海水にはナトリウムと塩素をはじめ、色々なイオンが溶けている。炉心への海水注入という事態は全く想定されていなかった。海水に含まれている成分がどのような影響を及ぼすか、放射性核種とどういう反応・結合をするのかは、当然検討されなくてはならない。
放出されたヨウ素について考えると、飛散した粒子状物質はヨウ化ナトリウム(NaI)だったと想像される。これは吸湿性があり、空気中で潮解する物質である。湿度が高いとべたべたな放射能となり、地上に定着しやすいと思われる。また、人工降雨と同じ原理で、雨粒生成の核となると思われ、15日の弱い降雨にも影響した可能性がある。
ヨウ素132(I-132;半減期2.3時間)はテルル132(Te-132;半減期3.2日)が壊変したものである。両方が一緒に飛来しても、残留性の違いから、ヨウ素132に近い減衰パターンをとる場合がよく見られる。ただし、ヨウ素だけが放出され、テルルは無い場合や、両者が放射平衡に無い場合もあるので、減衰パターンだけでは判断はできない。
07_oono_moist.jpg

(ヨウ素の影響と避難について)
ヨウ素の被曝評価はヨウ素131で行なわれ、132と133は検討されていないのではないかと危惧する。特にヨウ素132はテルル132が壊変してできるので、もしテルル132を吸い込み、それが体内に留まっていたとすると、半減期3.2日でヨウ素132の生成が続くので、軽視できない。ヨウ素132のエネルギーはヨウ素131よりもずっと大きいので、なおさらである。
日本では海藻類を食べる機会が多いので、ヨウ素が欠乏しがちな内陸部のウクライナの子供に比べると、ヨウ素による甲状腺被曝の影響は小さいと思われるが、各個人の被曝状況を丁寧に推定することや、継続的な検査が求められる。特に、野外でヨウ素やテルルのダストを吸引したかどうかが重要である。降雨に伴って汚染地帯が形成された原発から北西方向の地域では、降水によってダストは減少しているはずであり、地表は汚染されたが、ダスト吸引による内部被曝のリスクは低減したと思われる。逆に、降水の無かった地域は、残留放射能が少ないものの、ダストのリスクは高かったと言える。地表の残留放射能だけから内部被曝量は推定できないと考えられる。
これに関連して、避難のあり方も考え直すべきである。避難するために無闇に屋外に出てしまうと、ダストを吸引する危険がある。最近の建物は密閉性が高いので、屋内で放射性ダストをやり過ごすことでリスクが低減される。ただし、リアルタイムでの線量率の情報が無いと、行動のタイミングが分からない。本来、モニタリング・ポストはそのためにあると思うのだが、全く役立たなかった。モニタリングについても避難のあり方とあわせて反省されるべきである。

以上
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コメント

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仔細な分析結果、ありがとうございます。
前半の分析は、かなり正しいと思います。
元原発技術者のアーニー・ガンダーセン氏の書籍は、お読みになられたことありますでしょうか?なければ、後半部分の推測に関して、参考になる部分が多々あると思います。

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